頭を使うということは、体を使うことだったりする
大学院で教えていたり、あるいは弊社の従業員に作業指示をしていたりするとき、課題を前にして悩んでいる姿をよく見かけます。
あるいは、出てきたアウトプット(レポートとかプレゼンテーション資料とか)の品質が足りなくて、修正を指示したときにも悩んでいる姿を見ます。
そんなとき、私もつい言葉たらずに
「もっと頭使おうよ」
と言ってしまったりします。
で、言葉足らずなので勘違いさせてしまいます。
頭使おう = もっと考えろ
という勘違いをさせてしまうんですよね。
頭を使うというのは考えることなんだけれど、考えろ、と言っているわけではないです。
それはたとえばこういうことです。
「頭使おう」 ⇒ もっとインプットを増やすために資料をたくさん読もうよ。
「頭使おう」 ⇒ 品質を高めるためにはちゃんと周りの人に相談しようよ。
「頭使おう」 ⇒ 雑多な作業をいったん整理して、集中できる状況をつくろうよ。
ついわかっているものとして「頭使おう=考えよう」と言ってしまうのですが、その前提として、人は考えようとして考えることができない、ということはわかっているよね、と思ってしまっています。
例えば人は何も考えないでいよう、と思ってそうできません。
だからもし何も考えたくないのなら、圧倒的な単純作業に没頭する、ということで実現ができます。
あるいは完全に慣れてしまった作業を繰り返してもよいかもしれません。
同様に、考えようと思うのなら、自然に考えてしまう状態に自分を持っていかなくてはいけないわけです。
だから「頭使おう」というのは丁寧に言い換えると「もう少し目の前の課題に没入できる状態を作ってみたら?」だったりするわけです。
あるいは「お客さんにその資料をプレゼンする練習をしてみたら。そうすれば足りないところがわかるから」ということでもあるわけです。
まあ、頭を使うためには体を動かすとか、手順を変えるとかの工夫をしなさい、ということでもよいかもしれません。
みなさんも、頭を使いたいときには、頭を使わざるを得ない状態をぜひ作ってみてください。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)