人事改革はやっぱり権力構造に関係してしまう
新しい人事制度を検討するとき。
新しい人事制度が決まりかけて、事前に役員や管理職たちに説明するとき。
そのあとで全社員に説明会を開催するとき。
そのいずれのタイミングでも「素晴らしい改革ですね。がんばりましょう!」と言ってくれた人たちが、1年がすぎてからこういうときがある。
「まさかこんな仕組みになっているとは思わなかった」
その反応に対して、改革をすすめてきた社長が僕につぶやいたりする。
「計画通り」
こんなはずじゃなかった、という人達はたいていにおいて経営幹部たちだ。
それも、わりと古株の人たち。
彼らが勘違いしてしまう理由は簡単だ。
それは、人事改革を、給与の決め方を変える改革だ、と思ってしまう点にある。
そして、自分たちの権力を維持し続けられると思ってしまうからだ。新しい評価の仕組みに賛同することで、部下をマネジメントしやすくなる、と思ったりもするらしい。
確かに人事改革では、評価と報酬との関係性を変えたりする。
たとえば、Aという会社で、ノルマ的な業績結果だけで昇給と賞与を決めていた状態から、行動やプロセス面も評価するように変更する。そうすることで離職率を下げるとともに、目の前だけじゃない少し遠い目標も達成しやすくする。そんな変革をすることがある。
これは、実は表面的な話だ。
人事改革は、評価と報酬の関係性を変えるけれど、本当に変えようとしているのは違うものだ。
一言で言うなら、人事改革が変えようとしているのは社風だ。
そして何のために社風を変えようとするのかと言えば、環境が変わって、会社がとるべき事業戦略が変わったからだ。
環境にあわせて生き延びようとするために、人事改革をするのだ。
たとえば先に挙げた例を見てみよう。
Aという会社がノルマ主義から行動・プロセスも見るようになるということはどういうことか。
それは、「今まで結果を出しさえすれば好きにしていいんだろう」と考えていた人たちの権力とか権勢とかをなくしていくということだ。
そして、改革をすすめた社長が見据えている、「少し先の未来や目標に賛同できる人」たちが中心になって権力を持つようになるということだ。
実際にこういう会社での変革は、たくさんの退職者を出すこともある。
稼いでいるから、ということで目をつぶってもらっていたさまざまな間違いやハラスメントについて、日々指摘されるようになれば雰囲気も悪化する。逆に今まで稼げていなかった人たちの声が大きくなったりもする。
それでも、「個人の能力で稼ぐビジネスモデル」から「仕組みを使って誰でも稼げるビジネスモデル」に変革しなければ、会社が成長できないことは多い。だから「個人の能力だけを振りかざす人たち」は排除されていく。
そうしてA社では、売上を5年で3倍にすることを目指していったりする。それは、突出した個人の力だけでは決してたどりつけないゴールだ。
環境が変わったからゴールを変える。
そのために、ゴールに向かう人たちの行動を変える。
ビジネスというゲームの中で、人事制度はルールだ。
現時点で、何がゴールなのかを見せてくれるルールだ。
ゲームで結果を出したければルールを知るべきだし、ルールが変わるときにはなぜ変わるのかをもっと理解できるようにするべきだ。
自分じゃない誰かがゴールしたあとで、「こんなルールになってるとは思っていなかった」なんて言っても誰も見向きもしてくれない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
不遇な状況からの逆転出世を狙うのならこの本をいつも手許に。
売上を10倍にした人事戦略
僕の人事コンサルタントとしてのキャリアは、今年でだいたい20年になる。
その間、多くのクライアントを支援してきたけれど、中でも特に記憶に残る一社がある。
まだ外資系コンサルティングファームにいた頃。某都銀からの紹介案件がマネジャー会議に持ち込まれた。パートナー(役員)の一人が案件の内容を淡々と紹介した。
「……で、この案件。誰が担当してくれる?」
普通は「誰が担当したい?」とたずねるはずだ。けれどもこの案件についてだけはしてくれる?というたずね方だった。
20人ほどのマネジャーの中でも、人事を担当できるマネジャーは限られている。その数人で顔を見合わせたが、誰も率先して手をあげなかった。
「ちょっと、ねぇ……」
「銀行紹介だから、大丈夫ではあるんでしょうけれど……」
「そもそもなんでうちがこんな会社を見なきゃいけないの?」
そんな言葉が会議を飛び交った。
僕も(なんでこんな業界の会社を?)と思いはした。けれど、良く考えてみれば僕はその業界の事を良く知らなかった。
客としていったこともなかったし、興味すら持っていなかった。
だから手を挙げた。「僕が担当しますよ」と。
パートナーは安心したようにうなずき、案件資料のバインダーを僕の方にすべらせた。
「飲食業W社案件」
議題が次に進む中、資料を開くと、財務データがまず目に入る。
年商は30億円ほど。
正直なところ外資系コンサルティングファームで担当する規模ではない。売上が数十億円程度だと、国内系のコンサルティングファームよりもヒトケタは高いコンサルティング費用を払いきれないからだ。
けれどもこの会社は、保有している現金がとても多かった。そして負債はほとんどない。
損益計算書を見れば、営業利益率がとても高い。銀行向けの資料だから多少の粉飾はあるだろうけれど、それでも飲食業としては異常に高い利益率だ。
財務データの後ろには、出店している店舗の見取り図や内装写真が続いた。きらびやかな写真。そしてそこに写る、若くてきらびやかなドレス姿の女性たち。
その会社はキャバクラの会社だった。
それからの半年間。僕はその会社のために文字通り24時間体制で支援を行った。
その会社の経営会議は深夜の2時からとか、明け方の5時から行われたりしたからだ。
酔客であふれた店のすみのテーブルで、高校を中退して水商売の世界に入った店長や、10代のシングルマザーのコンパニオンなどから現状の課題を聞き出した。
3人の部下をひきつれ、夜8時の開店から明け方4時過ぎの閉店までの間、それぞれ担当店舗を分けて、店の前で客に挨拶をし続けることもあった。
そうして調査して、分析して、議論して、導き出した対応策は、人事戦略を作り上げることだった。
まず人事戦略をつくりあげ、戦略を実現するための制度をつくり、制度を運用するための組織をつくり、組織を動かすための仕事の進め方を定めた。
勘で進めていた経営を、数値に基づく経営におおきく転換させたのだ。
怒涛の半年が過ぎてから2年後、夜遅くに僕の携帯が鳴った。まだ残っていた登録名は、その会社の経営幹部のものだった(彼はのちにオーナー社長の後を継いで社長になる)。
「順調に売り上げが伸び続けていて、仕組みの改定が追いつかないんです。もう一度、入ってもらえませんか?」
そうして久しぶりのその会社を訪れることになった。
2年の間に売り上げは100億円を超えていた。
「300億円を目指したいと思ってます」
オーナー社長と、彼をとりまく経営幹部たちの姿を見て、「やりましょうか」とだけ答えた。
300億円を達成したのは、それから3年後だった。
その間にはいろいろあったけれど、人事の力で大きく会社を伸ばすことができた実績は、コンサルタントとしての僕にとっても大きな自信になった。
どんな業界であったとしても、人事戦略が、人を伸ばし、事業を伸ばし、会社を伸ばすことを実感できたからだ。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)