あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

売上を10倍にした人事戦略

僕の人事コンサルタントとしてのキャリアは、今年でだいたい20年になる。

その間、多くのクライアントを支援してきたけれど、中でも特に記憶に残る一社がある。

 

まだ外資コンサルティングファームにいた頃。某都銀からの紹介案件がマネジャー会議に持ち込まれた。パートナー(役員)の一人が案件の内容を淡々と紹介した。

「……で、この案件。誰が担当してくれる?」

普通は「誰が担当したい?」とたずねるはずだ。けれどもこの案件についてだけはしてくれる?というたずね方だった。

 

20人ほどのマネジャーの中でも、人事を担当できるマネジャーは限られている。その数人で顔を見合わせたが、誰も率先して手をあげなかった。

「ちょっと、ねぇ……」

「銀行紹介だから、大丈夫ではあるんでしょうけれど……」

「そもそもなんでうちがこんな会社を見なきゃいけないの?」

そんな言葉が会議を飛び交った。

 

僕も(なんでこんな業界の会社を?)と思いはした。けれど、良く考えてみれば僕はその業界の事を良く知らなかった

客としていったこともなかったし、興味すら持っていなかった。

だから手を挙げた。「僕が担当しますよ」と。

パートナーは安心したようにうなずき、案件資料のバインダーを僕の方にすべらせた。

「飲食業W社案件」

議題が次に進む中、資料を開くと、財務データがまず目に入る。

年商は30億円ほど。

正直なところ外資コンサルティングファームで担当する規模ではない。売上が数十億円程度だと、国内系のコンサルティングファームよりもヒトケタは高いコンサルティング費用を払いきれないからだ。

けれどもこの会社は、保有している現金がとても多かった。そして負債はほとんどない。

損益計算書を見れば、営業利益率がとても高い。銀行向けの資料だから多少の粉飾はあるだろうけれど、それでも飲食業としては異常に高い利益率だ。

財務データの後ろには、出店している店舗の見取り図や内装写真が続いた。きらびやかな写真。そしてそこに写る、若くてきらびやかなドレス姿の女性たち。

 

その会社はキャバクラの会社だった

 

それからの半年間。僕はその会社のために文字通り24時間体制で支援を行った。

その会社の経営会議は深夜の2時からとか、明け方の5時から行われたりしたからだ。

酔客であふれた店のすみのテーブルで、高校を中退して水商売の世界に入った店長や、10代のシングルマザーのコンパニオンなどから現状の課題を聞き出した。

3人の部下をひきつれ、夜8時の開店から明け方4時過ぎの閉店までの間、それぞれ担当店舗を分けて、店の前で客に挨拶をし続けることもあった。

 

そうして調査して、分析して、議論して、導き出した対応策は、人事戦略を作り上げることだった

まず人事戦略をつくりあげ、戦略を実現するための制度をつくり、制度を運用するための組織をつくり、組織を動かすための仕事の進め方を定めた。

勘で進めていた経営を、数値に基づく経営におおきく転換させたのだ。

 

怒涛の半年が過ぎてから2年後、夜遅くに僕の携帯が鳴った。まだ残っていた登録名は、その会社の経営幹部のものだった(彼はのちにオーナー社長の後を継いで社長になる)。

「順調に売り上げが伸び続けていて、仕組みの改定が追いつかないんです。もう一度、入ってもらえませんか?」

そうして久しぶりのその会社を訪れることになった。

2年の間に売り上げは100億円を超えていた。

「300億円を目指したいと思ってます」

オーナー社長と、彼をとりまく経営幹部たちの姿を見て、「やりましょうか」とだけ答えた。

300億円を達成したのは、それから3年後だった。

 

その間にはいろいろあったけれど、人事の力で大きく会社を伸ばすことができた実績は、コンサルタントとしての僕にとっても大きな自信になった。

どんな業界であったとしても、人事戦略が、人を伸ばし、事業を伸ばし、会社を伸ばすことを実感できたからだ。

 

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

管理職がどれくらい減ったかをグラフで確認してみた

課長になれる人が減っている、ということは良く言われるし、データでも確認されている。

名ばかり管理職のような、名目的な管理職が減るのはいいことだ。

でも実際のところでいえば、やっぱり年功「昇格」が減っていることが大きな原因だろう。

年功「昇給」が減っていることについては、以下の記事で紹介した。

だから今日は、年功「昇格」が減った結果として、どれくらい管理職割合が減ったのかを示してみたい。

データソースはあいかわらず賃金構造基本統計調査だ。

まず課長から見てみよう。

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全体として課長の数は減っている。

特に気になるのは、35才~44才層での課長の減少だ。

一方で50才以上の課長は微減か微増といったところだ。

ということは、課長になれる年齢が遅れているということだろうか?

いや、労政時報の経年調査を確認してみると、昇進年齢は逆に早まっているという会社の方が多い。

となると昇進年齢が遅くなっているというよりは、別の理由がありそうだ。

それが次のグラフ。部長割合の変化だ。

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このグラフからわかるように、全年齢帯で部長割合が減っている。

 

これらのことから読み取れるのは、「部長になれる人が減って」「課長どまりの50代が増えている」ということだ、と僕は考えている。

 

その証拠に、管理職全体の割合はそれほど変化はしていない。

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全就労者に占める管理職の割合(部長と課長の合計)は2005年に19.1%だった。

そこから微増微減を繰り返し、2014年時点で17.1%に減少している。

減少幅は2%だけで、それほど大きな変化とまでは言えない。

 

 

前回の記事で示したように、部長であっても課長であっても、45才~49才が給与の上限だ。そこで昇給は実質的に止まる。

となると45才~49才のあたりまでに部長に昇進していないと、課長どまりで給与は減っていく、ということになるわけだ。そして、部長になれる昇進の門はどんどん狭くなっているということだ。

 

部長への昇進判断は、単年度だけでされるわけじゃない。仮に45才で部長に昇進するとしたら、実際の確認は42才くらいから始まる。

だからもし今の会社で部長以上になって、その先の役員を目指すのであれば、42才までが勝負だ、ということになる。

 

もしあなたが40才未満であれば、いちはやく課長になって、その先へ昇進するための力をつけなくちゃいけない。

もしあなたがすでに42才を超えて課長になっていないのであれば、それは今の日本の会社の仕組みでは、50才くらいで厳しい現実をつきつけられるということだ。

そういう仕組みになってしまっているということがグラフからわかる。

 

前回示したように、課長になれなければ残業代を含めて800万円の年収の天井は超えられない。

そしてどの役職になっていようとも、50才になったら年収は減り始める。

そんな時代に僕たちは、どのような生き方を選ばなければいけないのだろう。

1993年にWindowsが普及し始めて、その後の10年で働き方が大きく変わった。

同じように今、働き方が大きく変わろうとしている。それは会社と個人との関係性の変化が具体化しているということだ。

 

その変化をどう乗りこなしていくべきか、またいろいろと紹介してみたい。

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

 

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