「手取りが減るから課長になりたくない」は死語になる
日経スタイルの連載で、大きな常識の変化を書いた。
「手取りが減るから課長になりたくありません」という言葉が使われなくなっていくだろう、ということだ。
複数の省庁を巻き込んだ働き方改革の進み具合は素晴らしく、現実に残業は大きく減っている。
だから、課長にならなきゃ年収が増えない時代は目の前にある。
もちろん、働いた分だけちゃんと残業代を支払う会社も同時に増えているので、会社によっては残業時間が減るけれど手取りが増えている、という場合もあるだろう。
けれどもそれも時間の問題だ。
経営者側が本当に生産性向上に投資を始めたら、残業をすること自体を認めなくなるからだ。せっかく投資してるのにそれを無視する従業員がいたとしたら、それは腹立たしいことでしかない、と経営者は考える。
だからまっとうな会社は残業ゼロに向かって進むだろう。
その後のストーリーも想像できる。
人事制度的には、多分、給与の底上げが必要になる。
なぜなら、残業代が支払われる前提で給与水準を設定していた企業も多いからだ。
たとえば典型的な居酒屋チェーンでは、残業40時間でまっとうな給与水準になるように設計していたりする。
しかしこの40時間分がそのままパートタイマーに置き換わる可能性もある。
そうして残業代のない定額の給与だけが支払われることになる。
それは、生活にちょっと困るくらいの水準なのだ。
店長になればそれなりの給与水準になる。しかしその前段階では、残業して頑張るか、あるいは店長を目指さないといけないような給与水準に「あえて」設定していたりするからだ。
それらの仕組みが崩れていく。
だから「給与の底上げが必要になる」のだけれど、実際に全ての会社がそうするかどうかはまだわからない。
おそらく、だけれど、底上げする会社としない会社に二分されてゆくだろう。
きっちりと生産性を高めて儲けられる会社は底上げをするだろうし、惰性のビジネスしかできていない会社は底上げができないだろう。
働き方改革は、儲けられる会社とそうでない会社の峻別をすすめる。
働く私たちは今まで以上に、会社との付き合い方をシビアに考えていかないといけないだろう。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
年功序列崩壊と同一労働同一賃金は、実は同じことを言っている
面白い本を読んだ。
知人の大室正志さんが紹介していた本。大室さんは産業医として活躍されながら、ニュースピックスでもプロピッカーとして活躍されている。
僕がこの本に惹かれた理由は、実は大室さんの紹介文だ。
Facebookの友人・知人向けに書かれた紹介文なのだけれど、ご本人の許可を得たので、その一部を掲載してみたい。
「サードインパクト、サードプレイス、サードウェーブ。
「様々な3」が出回る昨今、さすがにこれは思いつかなかった。いやさすがに言えなかった。近年まれにみる”思い切りの良い本“が発売されました。
その名も『日本3.0』。」
「本書はいわゆるジャーナリストが事実を積み上げてまとめたノンフィクション作品ではありません。事実はあくまで参考文献。意見を補強するためのツールに過ぎません。
ですので、この歴史認識などにとやかく言うのは野暮ってもんです。
むしろこのような本はヒトをどれだけ「その気にさせたか」、「ワクワクさせたか」で評価されるべきかと思います。」
それがまさにこの本だ。
なるほど、それだけ思い切りがよいのであれば、これは読む価値があるだろうと思った。
で、読み終えてみて、たしかに僕は「ワクワク」したのだ。最近会う人に、「2020年から変わりますよ、この本読んでみるといいですよ」とか言ってしまってるし。
中でも僕の中で、ワクワクしながらあらためて整理できた考えがある。
この本でも重要な位置づけを持っている「年功序列の崩壊」「同一労働同一賃金」の二つの言葉に基づくものだ。
僕は人事コンサルタントなので、これらの言葉に日常的に接している。
しかしこの本を読んで、はたと気づかされた。
そうだ、この二つの言葉は、同じ概念に根差しているのだ、と。
それは、佐々木さんの本で言うところに、日本2.0=戦争の終結によるものだのだ、と。
人事的に言えばそれは「標準世帯」という概念だ。
標準世帯というのは、普通の日本人ならこういう世帯を持つはずだ、という定義だ。
具体的にはだいたい以下のように設定されている。
・男性は26才、女性は24才で結婚する
・女性はすぐに専業主婦になる
・結婚したその年の内に1人目の子どもを出産する
・数年後に、2人目の子どもを出産する。
このような世帯が「標準」なので、もちろん人事の仕組みもそのように設計する。
その際の給与の仕組みは、標準生計費という基準に翻訳される。
それは現在の東京でこんなグラフになる。
※厚生労働省が公表している各種統計データをもとにセレクションアンドバリエーション作成
このグラフで給与が増える根拠は簡単だ。
子どもにかかる費用がそのまま生活費として計上されている。
そして、二人目の子どもが独立するであろう、父親が53才前後をピークにして、標準生計費は下がっていく。
今週更新した日経スタイルの記事の最初の方でもこのあたりについては軽く言及しているが、これは限りなく結果平等といえる考え方だ。
ではこのような考え方がいつ生まれたのか。
このことについてわかりやすく記している論文を紹介しよう。
内容をかいつまんで話すと、標準世帯の発想は、戦前から戦中にかけての国家総動員法における賃金統制令の中で生まれたものだ。
そして、実は、新卒初任給を低く抑える、という発想すらこの時に生まれている。
賃金統制令以前の日本は、どちらかといえば世界標準的な職務給が運用されていた。つまり〇〇円支払わなければ雇えない、ということならその分を払った。その上で、年令などに関わらず、出来高に応じて給与を支給したのだ。
それが賃金統制令で、年令と業種と性別で、賃金の最高額を定めてしまった。
また昇給についても制限した。ただし家族手当は例外として認めた。
だから、給与を増やすためには、年を取るしかなかったし、家族を増やすしかなかった。
しかし今、あなたのまわりに「標準世帯」の人はどれくらいの割合でいるだろうか?
実際問題、今の「標準世帯」は一人暮らし世帯だ。
だから、標準世帯概念に基づく標準生計費は、現状にそぐわない古い概念だと言えるだろう。
だからこそ、年功的に給与を増やす仕組みは不要になるだろうし、年令で給与を下げたり、雇用形態で給与に差をつけるような(それはつまり終身雇用が前提だからそうなるのだけれど)正社員と契約社員の給与格差はなくなっていくだろう。
年功序列の崩壊と、同一労働同一賃金の適用は、つまり戦後の標準世帯概念からの脱却なのだ。そしてそれは、結果平等から機会平等へ移行することに他ならない。
ただ、ここまで考えて、発展的に疑問を感じた。
これはつまり、人事の仕組みが先に変わったから、標準世帯が崩れたのか。
標準世帯が減っていって、同時に人事の仕組みが変わっているのか。
そこのところについては、もう少しだけ調べてみようと思う。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)