人工知能はみんなの報酬水準を高めていく
人工知能によって多くの職業がなくなる、という論文が出て世間をにぎわせたことは記憶に新しい。
たしかに、人工知能によって多くの職業はなくなる。
けれど、技術の発展によって今までも多くの職業はなくなってきた。
だから人工知能だから、という特別なことはほとんどない。
たとえば論文で示している代替可能性の3つの視点は次のようなものだが、言い換えるなら、人の方が知覚や操作スキルに長けているし、クリエイティビティは発揮できるし、そもそも人に対する社会的スキルは人以外にはまだまだ難しい、ということを前提基準としている。
IT化の3つのボトルネック
:以下の3種類のタスクは、現段階ではIT化によって代替される可能性が低い。
【知覚・操作】Perception and Manipulation tasks
ロボットはまだ人間の知覚・操作レベルに達していない。
対象を厳密に認識し、繊細な作業を伴うようなタスク。【クリエイティブ】Creative intelligence tasks
人間の創造の根底にある心理的プロセスを指定するのは困難。
絵画・彫刻や、概念・音楽作品などにかかわるタスク。【社会的知性】Social Intelligence tasks
人間の自然な感情のリアルタイム認識はいまだ困難。
説得やケアを含むタスク。
The future of employment より翻訳引用
人工知能は変化をもってくる。それは確実だ。
失われる職業はたしかに多い。
けれども、新しく生まれてくる職業もまた多い。そして、今の子どもたちはその新しい職業につくわけだが、重要な点がある。
それは、新しい職業に就く人たちは、人工知能によるサポートを受けて働くようになる、ということだ。
そうしてたどり着ける場所は、きっと今よりもより高く、遠い場所だ。
たとえば内燃機関の発明で、多くの職業がなくなった。
しかし、そうして生まれたさまざまな技術によって、新しい職業がたくさん生まれた。
御者はいなくなったけれど、運転手は御者よりもたくさん生まれた。
熟練工芸職人は減って、単純作業を行う工場労働者をはるかに生んだけれども、内燃機関設計者や関連するエンジニアも数多く生み出した。
御者よりも運転手の方が報酬は増えたし、熟練工芸職人よりも内燃機関設計者ははるかに高い報酬を得ている。
なぜなら、新しい職業はさらに大きな価値を生み出すからだ。
新しい技術はもっと高いレベルに人を連れて行ってくれる。
人工知能は人よりも優れた脳を持つ、という点で脅威を感じさせるだろう。
けれども、今生まれてきている子どもたちを見ていると、不安は杞憂にも感じられる。
デジタルネイティブな子どもたちは、3才でスマートフォンを操作し自分でYoutubeを視聴するし、小学校3年生や4年生でHour of codeでプログラミングを遊ぶ。
検索窓に打ち込むのではなく、話しかけることで検索をする。
きっと、彼ら、彼女らがたどりつく高みは、私たち以上になる。
そのとき人工知能は、彼ら、彼女らの最高のサポーターになっているだろう。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
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結晶性能力を伸ばそう
年を取ってくると、記憶力は落ちるし、集中力だって長くは続かなくなる。
でも、年を取ると総合的な判断ができるようになるし、応用だってきく。
このあたりの実感は、ちゃんと研究がされていて多くの論文がある。
それらをもとに、ビジネスパーソン向けにわかりやすくあらわしたのが以下のグラフだ。
下記データをもとにセレクションアンドバリエーション作成
文部科学省(2014)「平成25年度体力・運動能力調査」
Bennett Eugene Postlethwaite,(2011),Fluid ability, crystallized ability, and performance across multiple domains: a meta-analysis
実際のところ人間は動物なので、年を取るとほとんどの能力は低下していく。
最近、フィギュアスケートの浅田真央さん(24)が現役復帰を表明したけれど、よく考えてみれば、フィギュアスケートの選手たちは20代で引退することが多い。
他には、水泳選手の引退年齢も20代が多い。陸上競技も同様だ。
文部科学省の調査を前提とすれば、人間の身体能力のピークは実は17才だ。
スポーツは純粋に身体能力だけじゃなくて、経験も必要だ。それでも身体能力が記録要素と直結しやすい個人競技では、ピーク年齢は20代前半となるわけだ。
対戦型の競技やチームプレイが必要な協議では、身体能力に加えて、状況判断や経験がさらに重要になる。だから野球とかサッカーではピーク年齢はもう少し後倒しされる。対戦型やチーム型の競技では20代後半から30代前半がピーク年齢となる。
重要なことは、身体能力が下がっていっても、年齢とともに積みあがるものがある。それが経験であり、学問的には結晶性能力と言われるものだ。
さて、ビジネスの世界では身体能力はさほど重要じゃない(もちろん、健康であるにこしたことはないが)。
ビジネスで重要なことは、地頭であったり人あたりの良さ、コミュニケーション能力などだ。
実はこの地頭だが、そのピークは20才前後という調査もある。
地頭や身体能力のことを、学問的には流動性能力という。記憶力や集中力、思考力、暗記力などが含まれる。
これらの能力は遺伝的要素も強いのだけれど、20才前後を頂点として、その後はずっと低下しつづける。
その代わりに、人は結晶性能力を獲得していく。
結晶性能力とは経験によって得られる知識や推理力などと定義されている。
ビジネスの世界では、知識や経験のない地頭だけで勝負ができる領域は多くはない。
そしてなによりも、一人で完結するビジネスはひとつもない。すべてのビジネスには相手がいる。仲間がいて、サービスの提供先があって、ライバルがいる。
だからビジネスの世界では、流動性能力はスタートラインを前にすることはできるけれど、決定的な要素とはならないのだ。
地頭が良いことは他人よりも「早く」走りだせることを意味するけれど、「速く」走り続けられるということじゃない。
ビジネス上のキャリアで本当に重要なことは、より多くの結晶性能力を手に入れることだ。そのためにはより良い経験を数多くする必要がある。
20代の頃の苦労は買ってでもすべき、というような意見は上記のように分析することができるし、まったくもって正しいわけだ。
僕は最近、この結晶性能力をさらに2つに分類できると考えている。
第一は、いわゆる知識や推理力で、それは自分の頭のなかに築いていくものだ。
第一の結晶性能力は一言で言えば「経験」だ。
でも、人は実は自分の体の外側にも築けるものがある。それがつながりであり、たびたび僕が著作で言及している、社会関係資本だ。
第二の結晶性能力とは一言で言えば「縁」だ。
この「縁」という単語を英語になおすと興味深い翻訳がされている。
Weblioというサービスで調べてみると次のようになる。
英語になおした「縁」はrelationship(結びつき)だけれど、それは二番目の訳だ。
「縁」の一番目の訳はfate(運命)でありchanse(機会)だ。
身体能力や地頭などの流動性能力は加齢とともに低下する。
しかし結晶性能力=「経験」と「縁」は年齢とともに増大する。
僕たちが成功を手に入れ、幸せに生きるためには、結晶性能力を伸ばさなくてはならない。
そうすればビジネスにおける僕たちのピークはどんどん後倒しできるようになる。
死ぬ時が人生のピークになる生き方も、決して夢じゃない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
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