あしたの人事の話をしよう

人事コンサルタント 平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

減額転職にもいろいろあるみたい

style.nikkei.com

日経スタイルの記事が更新された。

裏事情を話せば、最近また忙しくなりつつあり、連載の締切に遅れがちになってしまっている。

編集の方には大変申し訳ない。

 

かれこれ1年ちょっとになるけれど、隔週で連載してみて思うのは、継続することの難しさだ。

ネタが無い、と思う時でも書かなければ途切れてしまう。

途切れてしまえば、それは連載ではなくなってしまう。

 

そうして考えたのは、無理に連載にしない書き方だ。

その時その時の想いをベースに書くようにすると、ずいぶんと楽になった。

 

ともあれ、次の締め切りがまた来るまでに、ちゃんとネタを考えておくことにする。

 

 

平康慶浩

 

 

 

(再掲)レモンマーケット論(3):「使い勝手の良さ」が優秀さの証?

前回までの記事はこちら。

 



何度かに分けて書いていると、そもそもの論点がぶれやすいので、思い出してみます。
そもそも、日経新聞2013年4月8日の社説「元気な社会へ新たな雇用ルールを」、についての感想から記事を書き始めました。
だから、日本における新たな雇用ルールをどうべきか、ということがこの記事の論点です。

日経社説の要旨は、「解雇規制緩和もいいけれど柔軟に転職ができる労働市場が必要だ」というものでした。
前々回の記事では、単なる解雇規制緩和だと労働市場がレモンマーケット化してしまう、と書きました。
前回記事では、労働市場がレモンマーケット化する仕組み、を書きました。
今回の記事は、労働市場で取引される商品としての労働力の特徴、についてです。

さて、日本の労働市場における「良いモノ」とはなんでしょう。
それは「日本企業にとって優秀な人材」ということになりそうです。
この優秀の定義がとても難しい。

前回の記事でも書いた、
⑥ 「日本の正社員は会社の指示通りに部署を移り、『なんでもやる』使い勝手の良い労働力」
という前提がそのまま「日本企業にとって優秀な人材」の定義であるとすれば。

「日本企業にとって優秀な人材」の定義はこう言い換えられます。
◆ 今野浩一郎先生言うところの「制約のない社員」であることは必須です。
   -家には主婦(主夫)がいて家事全般を引き受けてくれる。
   -育児についても主婦(主夫)が引き受けてくれるか、両親が担当してくれる。
   -家のローンがあったりして簡単に転職できない。だから単身赴任でもなんでも受諾する。
◆ 社内で有効な人間関係を数多く築いている。
   -新卒一括採用時に同期が大勢いて、話がとおりやすい。
   -上司部下とのコミュニケーションをしっかりとっている。
◆ ハードスキル(専門性)よりもソフトスキル(コミュニケーションやファシリテーション)に長けている。

うちはそうではない、という会社も最近増えてはいます。
でも、上記を逆に言い換えてみましょう。
◇ 転勤できないし、過度の残業・休日出勤できない事情がある。
◇ 中途採用で、俺お前で話せる同期がいない。
◇ ソフトスキルよりも、ハードスキルが高い。

こういった人材を、ハードスキルの高さゆえに「優秀」と言えるのであれば、その会社は従来型の古き良き日本企業から脱却しているといえます。

また、労働市場における商品である「労働力」には、他の商品にない圧倒的な特性があります。
これは前回の記事におけるレモンマーケットの形成理由②「そもそも悪いモノが市場に出回る確率が存在している」に関係する話です。

通常の市場であれば「悪いモノ」は行き場を無くして捨てられたりします。
でも、労働市場における商品としての「労働力」を捨てることはできるでしょうか。
その商品の持ち手は自然人としての本人です。

どこにも就職・転職できない人がいたとします。
どこの会社からも「あなたが持っている商品としての『労働力』は他の人に比べてよくないからいりません」と言われてしまった状態です。
さて、その人が「労働力」を捨てる、となるとどうなるでしょう。
働かない(働けない)ということになってしまいます。
それは、日々の糧を得る手段をなくし、憲法に定められた生存権を侵害される選択になる、可能性があります。

セーフティネットと言われているのは、要はそんな人にどう対応すべきか、と言う話なわけです。
対応は言ってみれば簡単です。政府提言も基本的に以下の二つです。

  対応1:労働力の質を高める(教育する)
  対応2:労働力の質にマッチする職場を探して働かせる

でもこれら「だけ」の対応では、本質的な問題解決にはなりません。
対応1は、その結果として、他の選ばれない人を生み出します。なぜなら労働力は常に相対的な評価を受けるからです。
だから対応2が重要ですが、そのマッチング基準はなんでしょう。基準がはっきりしていないと、そこには「誰でもできる」仕事しかでてきません。

現在の社会では、労働以外にも日々の糧を得る手段があります。
投資家/資産家になる、社会的分配にあずかる、というものが両極端ではありますが、労働によらない、と言う点では共通します。
しかし大半の人はそんな道を選べないわけで、やはり労働によって日々の糧を得られるようにしなくてはいけません。

となれば、労働力をマッチングさせるための基準を明確にする必要があります。
それは優秀さの定義の言い換えにもなります。
なにがどうできれば優秀なのか。それが「使い勝手がいい人が優秀」である状態を脱却することが、労働市場活性化のために求められる。
職場におけるワークライフバランスダイバーシティの醸成のためには、実は「優秀」の定義から見直さなければいけないわけです。

では「使い勝手がいい人が優秀」という定義をどう変えていくべきなのか。
それが労働市場における需要側である企業側の変革のニーズということでもあります。

ということで、次回、ようやく「元気な社会を実現するための労働市場のあり方」を書きます。


 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

 

2013年の記事ですが、なんとなく再掲してみました。