善悪の呪縛を乗り越えるには、強くなるしかない
経営者と近い位置で働くと、辛いことも多いけれど、学ぶことも多い。
そんな話を、前回と今回とで、日経スタイルに書いた。
考えてみれば、今48才の僕が学生だった頃は、良い学校を出て、就職活動を頑張って大企業とかの安定した会社に入ろうとすることがあたりまえだった
最初に入った会社で辛いことがあっても、しっかりと頑張れば誰かが見ていてくれる。
人事は天命、という言葉すらあったくらいだ。
それだけ、会社というコミュニティは当然のものだった。
けれども今となっては、それらが幻想だったことがわかる。
会社は従業員を守るため「だけ」の器じゃないし、経営者は従業員のために「だけ」経営をしているわけじゃない。
従業員を弱者とするなら、弱者の立場ではそれらは善悪の悪になるのかもしれない。
けれども、経営とは善悪ではなく、理と情とのはざまにある。
そして、善悪の判断軸を乗り越えて、理と情を学ぶには、経営に携わるしかない。
経営を学ぶには、経営をするしかないのだ。
だとすれば、経営をせずに、経営者に近い位置で活躍できる働き方とは、とても有意義なものではないだろうか。
そしてその働き方を選ぶためには、強くならなくてはいけない。
弱いままでいる限り、善悪でしかものを考えられないからだ。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
ヒトの理屈とカネの理屈、両方理解することが大事
日経スタイルの今回の更新は、給与の決定ロジックを、資本のロジックだけで考えるとどうなるのか、という疑問へのさわりとして書いた。
少し今までと毛色が違うけれど、次回もこんな感じで書いてみようと思う。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)