つながりではなく孤独をマネジメントする~年功序列を弱める時の注意
セレクションアンドバリエーションのマネージングディレクター、平康慶浩です。
私は今まで多くの人事制度を作ってきました。
作った人事制度の大半は、いわゆる「成果主義」と言われる仕組みです。
一部そうでないものも作ったりはしましたが、それは組織の風土から見て、「成果主義」にしないほうがよい、と判断した場合です。
時期尚早である、と言う場合などもそうです。
成果主義という言葉の定義にはいろいろとありますが、基本的には評価で報酬に差をつける仕組みです。
で、これが失敗する場合の根本的な理由が、年功序列を維持した場合、であるということにも気づきました。
今回は、企業から年功序列を弱める、あるいは廃止する場合の注意点を書きたいと思います。
(実際に年功序列を完全に廃止する例は少ないので、以下は弱める場合として書きます)
年功序列を弱めようとするとき、社内では多かれ少なかれ反発が生じます。
一番よく言われる反発が「社内の和が乱れる」ということです。
私のように外資系で育った人間には、年功序列が無い組織での和が当たり前だったので、今一つ理解できない感覚でした。
私自身、追い抜いたことも追い抜かれたこともあります。
それでも特に何も感じませんでした。なぜなら周りでもそれが当たり前だったからです。
年功序列でないことが当たり前なら、その前提で、社内の和が強くなるのです。
だから、年功序列を弱める取り組みをする会社に対しては、「変えてみれば特に問題ないということがわかりますよ」と申し上げてきました。
そうして変えた組織では、やはり大きな混乱は生じませんでした。
大事なポイントは、全社で一斉に年功序列を弱めることでした。
なぜそれが大事なのかというと、実は年功序列は横並び感を醸成するからです。
この横並び感が崩れることを「和が乱れる」と感じる人が多いのです。
たとえ自分が抜擢されたとしても、同期同士での横並び間が崩れる。
同期の集まりでも、立場や考え方が違い、話がしづらくなる。
自分が追い抜かれた側ならなおさらです。
それは寂しさを助長します。
年功序列でない組織にいると、自分の話し相手は自分で探さなくてはいけません。
同期や先輩後輩、といった序列はあまり意味がない。
コミュニケーション能力があまり高くない人が、追い抜いたり追い抜かれたりすると、さらにこの傾向は強くなります。
ここで人事的にとるべき選択肢はなんでしょう。
従業員同士のコミュニケーション機会を増やすこと?
それは最低限必要なことでしょう。
その取り組みは、従業員同士のつながりを深めます。
しかしその取り組みは寂しさを解消してくれません。
コミュニケーション機会の増加は、寂しさを感じている人の寂しさを増やす効果の方が大きいのです。
後輩に追い抜かれた人が、例えばボーリング大会やバーベキューパーティなどで気が休まるでしょうか。
逆に、みんなを追い抜いた人が、多くの人が集まった場所ではしゃげるでしょうか。
年功序列を弱めるということは、考えずにレールに乗ってればよい、という感性からの脱却を求めます。
自分の仕事、自分のキャリア、自分の人生を自分自身で考えることを求めます。
だから、年功序列を弱めるためには、キャリアパスと役割を明確にする必要があります。
そうせずに、ただ評価で報酬差をつけるだけの「成果主義」を導入してしまうと、組織としての一体感も、目的に進む活力も薄れていくのです。
それは小手先のコミュニケーションプランで改善されるものではありません。
人生の決定権を、個人に返すことを意味しています。
それは孤独を認めることです。
寂しさは解消するものではなく、共存するものなのですから。
セレクションアンドバリエーション株式会社
平康慶浩(ひらやすよしひろ)