あしたの人事の話をしよう

人事コンサルタント 平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

人生の転機というか勇気というか(私ごとを書いています)

人生の転機というものは数限りなくあります。
私も43歳ですので、それはもうやまほど。

そんな中でも、一つ忘れがたいことがあります。
17歳のときです。
当時私は、ウォーゲームというものにはまっていました。
様々な戦争をボードゲームに置き換えたものです。
アバロンヒルというアメリカのメーカーがほぼ独占状態でしたが、コンピューターゲームの台頭によってすたれて、今は解散してしまっているようです。

話しがそれましたが、ウォーゲームにはまったのは13歳からでした。
で、17歳のときに、自分でも作りたくなったのです。
テーマを、十字軍にしました。
中でも最も登場人物が華麗な、第三回十字軍をテーマに据えました。
十字軍側にはイングランド獅子心王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世がいました。
一方アラブ側にはサラーフ・アッディーンがいました。
最も劇的な十字軍を、ゲームに落とし込みたい。
ちょうど、このテーマのウォーゲームが無かったのです。

そうして私は、この十字軍に実際の部隊人数と日程調査を始めました。

1189年から1192年まで、どの指揮官がどこにいたのか。
どの部隊がどこにいたのか。
どこで実際に戦闘が行われたのか。
戦闘の損害はどうだったのか。
戦闘のあと、双方はどのように行動したのか。

大阪にある、中之島中央図書館が私の研究場所でした。
当時調べがつく限りの、中之島図書館の蔵書を調べました。
開架図書以外も数多く調べたので、ほぼすべてと言ってもいいと思います。
高校二年生の私は、学校が終わって予備校に行くまでの15分とか30分とかを使って調査を続けました。
当時の私は、映像記憶が出来たので、15分であっても100ページくらいは読み込むことができました。
そこで判明したことをすべてノートに書き写す。
そうして、全集になっている一冊のわずかな文言まで拾い上げました。

文献によって、記述の詳細度が違います。
ある文献では単純に1191年、と書かれていても、別の文献では月まで書かれています。
でも、さらに別の文献では、それと異なる月が示されている。
地理的な移動距離や、補給線から見て、どちらが妥当なのかを推測する。
なぜ自分がアラビア語の原典を読むことができないのか、悔しく思った時期でもありました。

戦闘結果についても難しい。
ある戦争で何百人かが死んだと書いてある。
しかし、その1カ月後の戦闘には、当初の戦力と変わらない人数が記されている。
死んだはずの戦力は一体どこで補充されたのか。
そもそも、どのような戦闘がそこで行われていたのか。

騎士の数が最たるものでした。
騎士一人の装備を整えるために、ヨーロッパでは多くの資金が投入される。
その騎士が一人倒れる。
それはどのような意味を持ったのだろうか。

調べれば調べるほど謎は深まります。

それでもなんとか、ゲームを完成させることができました。
同人誌の形で製本し、50部だけ刷って、ゲーム仲間や日本のゲーム出版社に配りました。
50部刷るだけでも、バイトで溜めた貯金がずいぶんとなくなりましたが。

これがなぜ私の転機なのか、というと。

文献を調査していく中で、十字軍に関する調査研究の著名学者がわかるわけです。
当然です。
当時の私は、同人誌を作り上げて、その中に自分なりの十字軍年表を完成させました。
一般的な年表と違うのは、すべての部隊についての月別の整合性がとれていることでした。
また、それぞれの戦場でどのような戦いがあり、結果がどうなり、その後の行動にどう影響を与えたのかを書きました。
これを、著名学者たちに送ろうと思ったのです。
目的は単純でした。
僕が調べた結果はこうだったんですが、先生たちから見たら、間違っているところはありませんか?と、聞きたかったのです。

送りませんでした。

高校二年生から見て、大学教授たちは、あまりにも雲の上の存在でした。
大学の研究者たちはもっとすごいだろう。
だから、この程度のことは馬鹿にされるんじゃないか。
そもそも、いきなり郵送したら叱られるかもしれない。
そう考えたのです。

その後、大学に入ってわかりました。
当時私が書いたものは、そのまま、論文として成立させるのは難しいものでした。第一に、引用が明確でないということが最大のネックでした。
でも、もし私が17歳のときに、著名な大学教授たちに私の同人誌を送っていれば、彼らが驚愕したであろうことがわかったのです。
テーマがマイナーだということもあります。
でも、わずか17歳の子どもが、自分なりのテーマを決めて調査してそれをまとめた。
それを送ってきた。
そんな文章をむげに捨て去る教授は存在しない、ということを、大学生になってから理解しました。

私は、自分で勝手に臆病になっていました。
だから一歩を踏み出しませんでした。
踏み出しても、失うものは何もなかったのに。

大学生になったあと、私が同人誌を送った東京のゲーム出版社の社長にお会いする機会がありました。
業界では有名な方でした。
私が名乗ると彼はびっくりした顔をしました。
「十字軍のゲームを作った人だよね。え?まだそんな年なの?」
そう言われて、当時の私は話をはぐらかしました。
恥ずかしかったのです。
なにが?
自分でもわかるようで、わかりません。でも、はぐらかすしかなかった感情は覚えています。

結果として私が、イスラム史研究家になっていた可能性は極めて低いでしょうし、ゲームデザイナーになっていた可能性もほとんどないでしょう。
でも、一歩を踏み出していさえすれば、こんな振り返りはなかっただろう、と思うのです。

今日のブログは、自分の振り返りのために書いています。
でも、読んでいただいている方に対して伝えるメッセージがあるとすれば。

なんでしょう。
それは言葉にしない方が伝わる気がします。

 

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)