すべての資格は「入場券」ですよね
お客様企業の偉い人とお話ししていて、資格のことが話題になりました。
その方は研究部門の方なのでもちろん博士号をお持ちです。
それに加えて、さまざまな学会での理事なども歴任されています。
私自身もファイナンスMBAを取得していて、とある経済学系の学会にも属していますが、学会のコアメンバーになっているわけではありません。
だから学会の理事として要求されるさまざまな事柄、それはタイムリーに求められる論文発表や、若手の育成、外部機関との調整など、楽しく伺えました。
お客様企業からの帰り道にふと考えました。
博士号を持っていても、食えない博士はたくさんいます。
俗に「足の裏の米粒」と言われるゆえんですが、一方で、研究職や技術職として偉くなるためには、博士号はなくてはならないものになっています。
これは日本企業の人事制度が、「旧い人事の仕組み」から「新しい人事の仕組み」に確実にうつりかわるようになったこととも関係しています。「旧い人事の仕組み」はいわゆる職能資格制度などを指しますが、資格そのものよりも、人事に対する常識としてとらえた方がわかりやすい。
たとえば、
「若い人が年長者より高い給与をもらうのはおかしい」
「部下が年上だとやりにくい」
「失敗をせずに大過なくすごすことが最良だ」
「定年後は悠々自適の引退生活を目指す」
といった過去の常識ですね。
これが「新しい人事の仕組み」では逆になります。
「年齢に関係なく実力で給与をもらう」
「上司も部下も役割なので年齢は関係ない」
「失敗すらしない人間は社内にいらない」
「人生のターニングポイントは自分で決める」
さて「旧い人事の仕組み」の中で、博士号や修士号、MBAなどは役に立ちませんでした。
まさに「とっても食えない」ものだったわけです。
理由は単純です。社員が博士号をとったからといって、給与を増やしたり、昇進される企業なんてなかったからです。逆に、博士号をとるために休職でもしようものなら、確実に出世競争に置いて行かれることになりました。
書いててちょっと腹が立ってきますね。
しかし「新しい人事の仕組み」の中では、博士号や修士号、MBAなどは確実に有効です。
ただ、それでも博士号を持っているから昇進させる、とか、昇給させる、という企業ばかりになるわけではありません。
「新しい人事の仕組み」で博士号はどう有効なのか?
それはコミュニティへの入場券として機能します。
欧米系のホテルに泊まると、氏名欄の横にチェックボックスがあったりします。
そこには「Mr」や「Mrs」と同レベルで「Dr」が記されています。
博士=ドクターは欧米では別格の扱いを受けます。
そして日本においても、博士であることによって初めて参加できる組織があります。
最近は実務者も増えましたが、大学や大学院で教鞭をとるためには博士号は必須でした。
各種学会や業界団体においても優遇される場合もあります。
そして、「新しい人事の仕組み」においては、この社外コミュニティとの関係性が強く生きてきます。社内しか知らない人よりも、社外との関係が強い人、の方が高い評価を得るようになっています。
修士号でも同様の効果はあります。
修士号は世界標準としての「研究」というプロセスの経験者である、という証明になります。
だから研究が求められる組織や、インフォーマルなコミュニティ、あるいは研究を重視する上司や同僚との共通言語が話せる、という証明になります。
MBAは、経営に関する様々な学説について、一定時間真面目に勉強したことがある、という証明です。そのことによって、管理職や経営管理系部署に昇進や異動する「候補になる」資格を得ます。
こう考えていくと、実はすべての資格は「入場券」なのだなぁ、ということがわかってきます。
たとえば司法試験に合格するということなどがまさに典型です。
その後、裁判官・検事・弁護士というそれぞれの道を選ぶわけですが、この選択ができる権利が司法試験合格なわけです。それはまさに、司法界への入場券です。
司法書士や行政書士ももちろん入場券としての性質は持っていますが、その後の選択肢の広がりは、司法試験ほどではありません。
公認会計士や税理士の資格も、監査法人や税理士法人・事務所で正式に採用される入場券です。しかし入場券を持っているだけでは稼げません。
資格とはそれを取得するために努力が必要なため、つい取得そのものがゴールとしてとらえられがちです。
でもそれには「入場券」としての価値しかありません。
でも、その「入場券」を持っていることは、確実に選択肢を広げます。
人生のオプションを増やすことになります。
平康慶浩
(ひらやすよしひろ)
その方は研究部門の方なのでもちろん博士号をお持ちです。
それに加えて、さまざまな学会での理事なども歴任されています。
私自身もファイナンスMBAを取得していて、とある経済学系の学会にも属していますが、学会のコアメンバーになっているわけではありません。
だから学会の理事として要求されるさまざまな事柄、それはタイムリーに求められる論文発表や、若手の育成、外部機関との調整など、楽しく伺えました。
お客様企業からの帰り道にふと考えました。
博士号を持っていても、食えない博士はたくさんいます。
俗に「足の裏の米粒」と言われるゆえんですが、一方で、研究職や技術職として偉くなるためには、博士号はなくてはならないものになっています。
これは日本企業の人事制度が、「旧い人事の仕組み」から「新しい人事の仕組み」に確実にうつりかわるようになったこととも関係しています。「旧い人事の仕組み」はいわゆる職能資格制度などを指しますが、資格そのものよりも、人事に対する常識としてとらえた方がわかりやすい。
たとえば、
「若い人が年長者より高い給与をもらうのはおかしい」
「部下が年上だとやりにくい」
「失敗をせずに大過なくすごすことが最良だ」
「定年後は悠々自適の引退生活を目指す」
といった過去の常識ですね。
これが「新しい人事の仕組み」では逆になります。
「年齢に関係なく実力で給与をもらう」
「上司も部下も役割なので年齢は関係ない」
「失敗すらしない人間は社内にいらない」
「人生のターニングポイントは自分で決める」
さて「旧い人事の仕組み」の中で、博士号や修士号、MBAなどは役に立ちませんでした。
まさに「とっても食えない」ものだったわけです。
理由は単純です。社員が博士号をとったからといって、給与を増やしたり、昇進される企業なんてなかったからです。逆に、博士号をとるために休職でもしようものなら、確実に出世競争に置いて行かれることになりました。
書いててちょっと腹が立ってきますね。
しかし「新しい人事の仕組み」の中では、博士号や修士号、MBAなどは確実に有効です。
ただ、それでも博士号を持っているから昇進させる、とか、昇給させる、という企業ばかりになるわけではありません。
「新しい人事の仕組み」で博士号はどう有効なのか?
それはコミュニティへの入場券として機能します。
欧米系のホテルに泊まると、氏名欄の横にチェックボックスがあったりします。
そこには「Mr」や「Mrs」と同レベルで「Dr」が記されています。
博士=ドクターは欧米では別格の扱いを受けます。
そして日本においても、博士であることによって初めて参加できる組織があります。
最近は実務者も増えましたが、大学や大学院で教鞭をとるためには博士号は必須でした。
各種学会や業界団体においても優遇される場合もあります。
そして、「新しい人事の仕組み」においては、この社外コミュニティとの関係性が強く生きてきます。社内しか知らない人よりも、社外との関係が強い人、の方が高い評価を得るようになっています。
修士号でも同様の効果はあります。
修士号は世界標準としての「研究」というプロセスの経験者である、という証明になります。
だから研究が求められる組織や、インフォーマルなコミュニティ、あるいは研究を重視する上司や同僚との共通言語が話せる、という証明になります。
MBAは、経営に関する様々な学説について、一定時間真面目に勉強したことがある、という証明です。そのことによって、管理職や経営管理系部署に昇進や異動する「候補になる」資格を得ます。
こう考えていくと、実はすべての資格は「入場券」なのだなぁ、ということがわかってきます。
たとえば司法試験に合格するということなどがまさに典型です。
その後、裁判官・検事・弁護士というそれぞれの道を選ぶわけですが、この選択ができる権利が司法試験合格なわけです。それはまさに、司法界への入場券です。
司法書士や行政書士ももちろん入場券としての性質は持っていますが、その後の選択肢の広がりは、司法試験ほどではありません。
公認会計士や税理士の資格も、監査法人や税理士法人・事務所で正式に採用される入場券です。しかし入場券を持っているだけでは稼げません。
資格とはそれを取得するために努力が必要なため、つい取得そのものがゴールとしてとらえられがちです。
でもそれには「入場券」としての価値しかありません。
でも、その「入場券」を持っていることは、確実に選択肢を広げます。
人生のオプションを増やすことになります。
平康慶浩
(ひらやすよしひろ)