あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

給与が増えないのはメニューコストのせいでもある

最近、低い給与でも充実して暮らせるよ、みたいな「プア充」と言う言葉を提唱されている方もいらっしゃいますね。
これはとても矛盾している提言ということを、どれだけの人が理解しているのでしょうか。
280円で牛丼が食べられる。100円でビデオが見られる。それはたしかにそうです。
でも、それって、その背景にある人の給与の低さが前提にあるわけですよね。
それ認めちゃったら、貧民を増やすだけじゃないの?と思いませんか?

みんなの給与が増えないのは、そんな低消費でいいじゃない、という風潮のせいでもあるのですが、人事の専門家としてはもう一歩踏み込んでみます。

牛丼屋とかツタヤとか、それ以外にもある多くの価格破壊系の企業が利益を出していないのか?というとそうではないわけです。
もちろん利益率は低いし、消費者動向に左右される割合は大きい。
だから給与に天井を設けて、昇進しない限り給与が増えないようにしています。

利益を生み出す単位=店舗ごとの利益率を確保する。
そのために、店舗ごとの人件費率を確実にコントロールする、というマネジメントが浸透しています。

でも、これらの企業がたくさん利益を生み出したからといって、働いている給与は増えません。
仮に利益率が1%あがったら、(乱暴に計算すると)人件費率は30%から29%にさがります。
これを30%にしよう、という動きはないわけです。

企業側から見れば、1%の利益率の上昇はたまたまかもしれないから、それをすぐに人件費に転嫁なんてできない、ということです。

でもですよ。

利益率が1%下がったら、人件費率は31%になるわけです。
これを30%にしようとはするわけです。
その手段はいわゆる生産性の向上であり、リストラだったりもします。

これは、人件費の上方硬直性、だと言えます。

経済学の論文みたいな議論はまた整理してどこかの学会にでも発表しますが、人件費の上方硬直性は確実に生じています。
一般的な人たちは、人件費には下方硬直性がある、と言います。
それは、一旦上がった給与を引き下げることが難しい事実からのお話です。

でも、最近の実感は違いますよね?
会社が儲けても給与は増えないし、会社が損をすると給与は下げられますよね。

なぜこんなことが起きるのかと言えば、給与には「粘着性」があるからです。
今決まっている給与額から動かないような仕組みがあります。
人事制度の仕組みでいえば、そのひとつが「メニューコスト」です。

すし屋で考えてみましょう。
まずなぜ、給与の下方硬直性が生じるのか。
「全皿100円」のすし屋があるとします。ぎりぎりで利益を出していますが、たとえばマグロがぜんぜんとれなくなって、100円の皿の原価が105円になったとします。
こんなマグロの皿を出していたら赤字が積もるばかりです。
量を減らそうにも、今だってそんなに潤沢な量を出しているわけじゃない。ごはんの部分よりもマグロの切り身が小さくなったりしたら、そんなのすしとはいえません。
じゃあ、100円じゃなくすることができるか?といえばそれは難しいわけです。
なぜなら、「全皿100円」じゃなくなるからです。
もしマグロだけ120円にしようとするなら、すべてのメニューを書き換えないといけません。
看板すら変えなければいけないかもしれません。
それにかかる費用、それがメニューコストです。
マグロはもしかするとまた仕入値段が下がるかもしれません。その間だけ、仕方なしに赤字を受け入れるすし屋もあるでしょう。
これがメニューコストによる、価格の粘着性です。
この理屈が、給与の下方硬直性の原因のひとつです。

現在生じているのはその逆です。
マグロがすごく安くなった。80円で出しても利益がでる。
でもわざわざそのために「全皿100円」の看板を書き換えるすし屋はありません。
これもやはり、メニューコストによる価格の粘着性なのです。
給与の上方硬直性が、このことによって生じます。

給与においては、人事制度を変更するコストが高いから、利益が出ても給与を増やさない、ということです。

人事制度を変更するコスト、というと人事コンサルタントに払うコンサルタント費用か?と思う方もいるでしょう。そうではありません。小さい会社であれば、比率的にコンサルタント費用が高くつくとことはありますが、大きい会社だとそんなことはないわけです。
売上1000億円の企業で、人件費が200億円だとします。
もし人事制度を変えると、それだけで、社内で人件費の数%のコストが発生してしまいます。人事コンサルタントに払う金額は、それよりもとても小さなものです。

利益が出たら賞与で払えばいいじゃないか?と思うかもしれません。
でもこれはとても難しい。なぜなら、税制がそうなっているからです。そしてやはり人事制度もそれに対応していません。
税制上、当期の利益から当期賞与を支払うには、決算月末時点でだれにいくら払うかを決めなければいけません。そうしないと、来期の支払いになるか、あるいは税引き後からの支払いになります。
でも、普通の会社の人事制度には、厳密に利益配分するための仕組みなんてありません。
これを読んでいるあなた自身が振り返ってみてください。
3月末決算の会社にいるとして、4月末に賞与をもらったことがありますか?
もちろん、そういう会社もあるんですが、ほとんどの会社にはそんな仕組みはない。それに、人事部門の忙しさから考えても、そんなことに対応している余裕はありません。なぜなら3月から4月なんて、新卒受け入れで一番忙しい時期だからです。

もし人事制度がもとからそうなっていれば?
それなら対応は可能です。
でも、ほとんどの企業ではそうなっていません。
少なくとも、私が見てきた会社で、決算賞与を仕組みとしてきっちりと運営している企業はとても少ない。

その理由はとても簡単で、ここ最近の20年間、利益が出ることを前提にした人事制度をつくってこなかったからです。
もちろん、私自身はそういう提案はいつもしてきました。
でも、「利益が連続して出たら考えますよ」という言葉で消えていくことが多かったのです。
それよりも、売上が減っても会社が利益を出せる仕組みづくりにやっきになっていた、ということが現実です。

デフレ時代に改変した人事制度では、利益が出ても給与を増やす仕組みになっていないのです。

一方、欧米系企業ではそんなことはありません。
なぜなら利益配分としての賞与を、期初の段階から予算計上しているからです。
売上予算を達成しさえすれば、その分の賞与を支払えます。でも売上予算を達成できなければもちろん払えません。
重要なことは、払う前提で会社が動いているかどうかです。
払えない場合には、受け取れない側の従業員も納得します。売上達成できなかったんだからしょうがいないよな、と。

今多くの日本企業では、社内に利益を残しても、それを従業員に配分する仕組みがないのです。
もちろん単純に今いる従業員にたくさん払うべきだ、とは思いません。
でも、利益額に応じて配分する仕組みを、体系的に構築すべき時期に来ているのではないだろうか、と強く思います。


平康慶浩(ひらやすよしひろ)