就職という常識を変えてゆきたい
Facebookには少し書いたのですが、この2月から個人的な勉強をはじめています。
本当は勉強会にしたいのですが、勉強会にした場合、参加することの意義が必要になるわけで、まだそれをはっきりと出すことができません。とりあえず現時点で某友人弁護士さんが参加表明してくださっていますが、もう少し人数が集まったら、大阪グランフロントのナレッジサロンで勉強会を開催してみます。
その前にまず自分自身の問題意識から整理して、現状→あるべき姿の構造を整理しています。最終的にはビジネスモデル化して、資金を募ってビジネスにすることをゴールに考えています。
で、なんのために勉強しはじめているか、というと、「就職という常識を変えたい」、ということです。
ビジネス的に言えば、求職者と企業とのマッチングモデルを変革する、ということになります。
それはこんな状態が実現できること。
個人にすれば、自分自身がどんなスキル、習慣、経験、知識、ネットワークを持っているかがわかる状態。
ビジネスを進める人、企業側にすれば、自社のビジネスに必要な仕事と、その仕事に必要な人財の要件が定まっている状態。
そして個人と企業との間で、適切な契約関係に基づく対価の受け渡しが実現している状態です。
この状態が実現すると、個人にとっては成長と生活の羅針盤ができます。
マッチング条件がわかるので、個人にしてみれば、どんなスキルや知識や経験などを亭に入れればいかがわかる。
また、キャリアチェンジやリスタートもしやすくなります。
偶然のチャンスやピンチに対しての判断もしやすくなります。
新卒だからどこかに就職する、ということも、多数派としては残るだろうけれど、絶対多数ではなくなるようになる。そもそも個人から見た新卒採用のメリットというのは、最低限の社会人スキル獲得とネットワーク獲得が一律でできる、ということにあるわけですから。
企業やビジネスサイドにとってみれば、チームを組成しやすくなる。
自立した人たちの集団になれば、組織活力も高まるだけでなく、意思決定も早くなるし、企業が実現しようとする成果の創出にも最短距離を選びやすくなる。
この状態が実現した場合には、もちろんマイナス面もあって、それは自己責任が強調されてしまうということです。ただ、個人と企業との間で情報がちゃんとオープンになっていけば、正当な対価を得られない人も、人材難に苦しむ企業も減ってゆきます。
そこに淘汰は必要だと考えざるを得ない。
そうしなければ、労働市場は改善しません。
労働市場について以前、こんな記事を書きました。
レモンマーケット論:65歳まで雇用する会社と、即解雇会社に二分される日本
レモンマーケット論(2):なぜ労働市場がレモンマーケットになるのか
良く考えてみれば、すでに労働市場はレモンマーケットになっています。
だから新卒はほぼ一律の月収で雇用されるし、転職者に示される年収は企業が用意できる最低額から始まります。コストとして雇用され、投資対象として成長を期待される個人は、まずレモン(粗悪品かもしれない商品)として扱われることからはじまります。
レモンとは期待はずれの商品ということでもあります。
労働市場の適正化とは、期待と実態とのマッチングでもあるのです。
期待と実態とがマッチすれば、レモンはなくなります。淘汰ではなく適材適所が実現します。
4月くらいには一定の答えを出したいですね。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)