習うのと慣れるのは同じ価値がある(人事のお話です)
僕の25年来の友人に、割烹の板前がいる。
大阪の割烹の息子で、高校卒業後は辻調理師専門学校で学び、その後は師事した親方と4~5人のチームを組んで、いろいろな店を巡っていた。いくつかの店では僕も常連になり、店と彼の成長とを応援していた。
今や彼は実家にもどって、割烹の大将なのだけれど、彼が若いころによく言っていた話に、どうしても僕は納得できなかった。
洗い方に〇年
煮方に〇年
焼き方に〇年
それだけの年数をかけなければ、次のステップに進めないという、日本料理の育成方法だ。
僕がなぜ納得できなかったのかと言えば、ミシュランの星をとるようなシェフたちを知っていたからだ。彼らの中には、25歳や28歳という人たちもいた。
もし彼らが日本料理のような育ち方をしていたら、とてもその年齢に星はとれなかっただろう。
彼らがそうして育っていれば、40代や50代になって、さらにすばらしい料理を作れただろうか?
僕はそうは思わない。
20代でしか生み出せない感性や、前例の否定から始まる創作があるからだ。年を取ってしまうと感性は変わるし、序列に組み込まれると前例の否定はできない。それは素晴らしい創作を消し去っていく可能性すらある。
なぜ育成にそれだけの年数がかかるのかといえば、科学的に指導するマニュアルがないからだ。もちろん、調理師専門学校で教える調理方法はすでに科学になっている。さまざまな調理方法の裏側にある化学反応をふまえた教育をし、温度や成分の重要性をとことんまで教育する。
しかしそれでもなお、学校を卒業した現場では、そんな〇〇年、という年数でのしばりがあったりする。学校にマニュアルはあるが、割烹の現場にはない。
もちろん実践はとても重要だ。
でも、学ぶこともそれに劣らず大事で、故事成句のようにどちらかが優先するなんていうことはない。
習うより慣れろ、という故事成句はあるけれど、現代において役に立たないものの一つだ。それどころか害悪ですらある。
「習う」ことを軽んじさせる悪しき言葉だ。
英語でも
Practice makes perfect.
という言葉がある。習ったあとで、それを実践して、さらに完璧を目指すということだ。
日本ではなぜかこの英文を「習うより慣れろ」と訳している。
英文が示す意味と全く異なるが、なぜかそれが定着している。英文が言っている意味が全く違うというのに。
習うことを軽んじている点で、「習うより慣れろ」という故事成句は時代遅れだ。そして、習うことを嫌う人たちに言い訳になっている。
2つの点から指摘しよう。
第一に、慣れる程度でできるようになることとは、「体で覚える」類のことだ。ホワイトカラー時代に「体で覚える」ことは多くはない。また、ブルーカラー的な仕事であったとしても、その背景にあるロジックや仕組みを学ぶことには大きな意味がある。
第二に、慣れただけでできるようになった人には、その先の伸びしろがない。慣れた後に待っているのは慢心だ。あるいは、慣れ続けるための訓練かも知れないが、そこには変革はない。
より正しく言えば、習ってから、慣れて、そしてさらに習うべきだ。
習うより慣れろ、という完結した言葉だけでは、その先の成長はないからだ。
私たちの前になるのは、繰り返す成長のらせんなのだ。
この間違った故事成句のような仕組みが人事にもある
滞留年数だ。
ある等級に昇進したのち、3年とか5年の間は昇進のチャンスを与えない仕組みだ。
目の前の仕事に慣れることで、仕事への習熟を期待する。習熟に必要な平均的な年数が経過するまで、上の仕事をさせずに目の前の仕事をさせる。
これは人を信じていないばかげた仕組みだと思う。
たとえば3日でコツをつかんでしまった人は、そのあとの3年間を慢心したまま過ごすことになる。その間に、3日でコツをつかむことができた彼の才能は朽ち果てる。
伸びる人にほど新たなチャレンジをさせなければいけない。そしてストレッチさせ、新たな試練を与え、さらに成長させなければいけない。
しかし、「慣れる」ことを求める仕組みでは、横並びでの一律化を求める。ストレッチよりも和を貴ぶ。誰かが突出するより、底上げがされることを目指す。
そもそもなぜ慣れさせようとするかといえば、上の立場の人たちが、習ったことがないからだ。そういう組織では、習わせないままで慣れさせようとする。
最近になってやっと、習わせることに対して力を注ぐ会社が増えている。
しかしその効果がでるには、また10年ほどはかかるだろう。
そもそも、習って来ていない人たちが上司にいる限りは、習うよりも慣れろ、という言葉が幅をきかせる。
あなたがもし、習うことの意味を実感するのであれば、後輩や部下にも習うチャンスを与えよう。
あなたがいる組織で、習うことの重要性を実感しているのはあなただけかもしれない。けれどもあなたが伝えなければ、慣れることだけを求める組織が続いていく。
慣れることだけを認める組織に未来はない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)