上司に人事評価をさせてはいけない(暴論)
あらかじめ言っておくが、暴論を書く。
僕はいつも、自分の仕事(人事コンサルタント)をなくすための方法を考える。
これはその一環だ。
企業組織で、人事評価は上司が行う。
上司はたいてい、管理職、と言われる人たちだ。
平社員の評価は課長がする。
課長の評価は部長がする。
部長の評価は、取締役がする。
ちなみに、平社員とか課長の評価をするときには、評価基準をもとにしたりするけれど、部長クラスになってくるとそんなものは有名無実だ。
とあるサービス業(売上規模150億円くらい)の人事制度を、5年くらい前につくった。
2年がすぎて、制度の微修正を依頼されたので、その間の評価データを受け取った。
そんな中、部長の評価データが気になった。
AとかBとかついているんだけれど、昇給額が全員一緒だったからだ。
「制度を変えたんですか?」
「いや、そのままですよ」
「なぜ昇給額が一緒なんですか?」
「部長なんだから、給与に差をつけるわけにはいかないでしょう」
なんじゃそりゃ。
でもまあ、一部上場企業の部長とか役員評価でも同様のことは何度もあった。
一定レベルにまで選ばれてきた人たちに対して、基準による評価はされない。
そのあたりの秘密はこの本に書いているので読んでみてほしい。
(この文章はステマだけれど、本当に役に立つと思うんだけれどね)
で、評価というものの納得性、妥当性を考えていくと、どうしても矛盾が生じるので解決策はないものかと考えた。
そういうときには、一度抽象化するのが一番だ。
企業の中の人事評価を適切に行うためにはどうすべきか。
言い換えると、どういう状況だと、適切な評価が行われないのか。
うだうだと、こんな例を考えた。
学校教師に対して、クラスの学習レベルを上げる指示をしたとしよう。
底上げしてもいいし、できる子を伸ばしてもいい。
とにかく、平均を上げればいい。
教師はなにをするだろうか?
出来ない子に対しての補習を実施する。
出来る子に対する選抜授業を実施する。
課題をたくさん与えて、できなかったときの罰則を明確にする。
課題をたくさん与えて、できた時の報酬を明確にする。
自発的に勉強したくなるように、勉強の面白さを伝える。
いろいろな方法がある。
そうして、さて。
誰がそのクラスの学習レベルをチェックするのか?
まさか、その教師自身にチェックなんてさせないだろう。
そんなことをしたら、チェックになんかならない。
でも、企業組織ではそれが行われている。
つまり、育成責任と評価責任とを同じ人間に与えてしまっているのだ。
だとすれば、その評価に納得性が出ようはずもない。
それよりはむしろ、評価はデジタルであるべきだ。
実際問題、元気な伸び盛りの企業では、評価はデジタルだ。
評価者の思いなんてかけらも関係しない。
デジタルに測れない部署がある、という言い訳はいつも出てくる。
管理部門がその代表だ。
でも、それこそ年功を使えばよい。
経理に入って1年毎に同じ額だけ昇給する。
一定額になったらストップする。
そして、昇進させるにふさわしいかどうか、と言うときにだけ、上司以外のメンバーで評価をする。
だから、上司を評価者にしてはいけないのだ。
上司には、育成責任を与えなければいけない。
そして、チームとしての数値責任を与えなければいけない。
決して自分の部下に対して〇×をつける権限を与えてはいけないのだ。
そうすれば、組織は伸びる。
もう一度、学校の教師の例に戻ってみよう。
生徒に対して〇×をつけない先生。
ただ、教育だけを徹底する先生。
客観的な評価だけを受ける先生。
彼は、ダメな教師になるだろうか?
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
*************************
11月と12月の人事制度無料相談会はこちらから。
東京開催へご参加希望の方は上記をクリックしてください。
**************************