雑感 企業と人材マネジメントとコンサルタント
企業と人材マネジメントの本質について、いつも考えてしまう。
なぜなら、「典型的な日本企業」というものがなかなか描けないことが多いからだ。
例えば、最初はこういう風に思っていたとしよう。
「最近お付き合いする企業はいずれも職務給を導入しようとしている。社員数も50名くらいから数百名まで幅広い。なるほど、もう職務給は一つの流れになっているんだなぁ」
でも、それから半年くらいの間に、別のいろいろな会社とお付き合いすると考えが変わる。
「やっぱりグローバル化だよな。社員の半数が外国人、というか、海外法人まで含めて考えると8割が外国人の会社が多くなったな。となれば、労働市場の流動化とかもっと仕組みとして整備しなきゃいけないよな」
そんなタイミングで、また複数の会社のコンサルをする。そして考える。
「まさかグローバルに展開している上場企業とか、非上場でも1000名規模の企業で、こてこて年功序列・責任回避・社内関係性重視企業がまだこんなにあるなんて。やっぱり日本企業というのはまだ変わっていないし、変わらずに済むと考えているのかな」
そうしてたどり着いた結論は、企業を取り巻く環境変化が、個々の企業に与える影響は一律ではない、というものだ。
だから人事制度というか人材マネジメントの姿も、やはり企業によってそれぞれアレンジしなければいけない。
職務給とかコンピテンシー評価とか目標管理のアレンジとか、それぞれの企業にマッチする姿はそれぞれで異なっている。
それぞれをマッチさせるために、コンサルタントである僕は思考を巡らせ、さまざまな理論を駆使し、最適解を求める。
でもそんなことを考えていると、どうしてももっと本質を考えようとしてしまう。
そもそも、従業員を雇用し、労働の対価として給与を支払い、企業として成長する、というビジネスモデルは唯一無二なのか?
雇用というスタイルはあたりまえなのか?
⇒もちろん違う。けれども、雇用以外のスタイルにはデメリットも大きい。特に働く側にリスクを負わせすぎる。
労働の対価=給与と言うモデルは普遍的なのか?
⇒もちろんそうではない。労働の定義も、時間とか成果とかさまざまに区分できる。対価も給与だけではなく、利益配分や投資的な支出など多様性がある。しかし、労働の対価=給与と言うモデルはわかりやすすぎる。
企業の成長は絶対なのか?
⇒成長しない企業モデルも存在する以上、そうではない。しかし人は年をとる。企業を構成する存在が人である以上、成長なくして人は企業に存在しえない。
人材マネジメントのスタンダードも、もしかすると1900年あたりからの経済発展概念がもたらした、泡沫のようなものではないのか?
僕たちは目の前の最適解を求めなければいけない。
けれども、僕たち自身が歴史の中の一世代に過ぎないことを理解して、次に残せるものを考えないといけない。
歴史のあだ花のように生まれたコンサルタントという職に就きながら、残せるものは何かを考えてゆきたい。
企業とか人材マネジメントという考え方も、もしかするとやがて消える泡沫かもしれないのだから。(あるいは、古代ギリシャ時代の弁論術のように、スタンダードになるか?)
平康慶浩(ひらやすよしひろ)