キャリアの「道草」を認められますか?
僕は道草が好きだ。
それは速度を下げるということだ。
赤信号で自転車をとめる。そうして目指す方向とは違うあたりに目を向ける。
たくさんの人が信号を待っている。老若男女なんてことばは、こんな時のためにあるようだ。杖を突いている老人もいれば、元気にはしゃぐ子どももいる。睦まじいカップルもいるし、仕事にいそぐビジネスパーソンもいる。
そんな姿に目をとめていると、やがて青信号になって踏み込むペダルに力が入る。
たまにはふと、別の道を行きたくなることもある。一番早く到着するであろうメインストリートじゃなく、歩行者の多い商店街を自転車を押しながら通ったりもする。裏通りを走るのも面白い。普段気にしていない街並みがよくわかるからだ。
車の旅になると、道草が難しくなる。
なぜなら目的地ができるからだ。たどりつくためには、赤信号は邪魔なものでしかない。渋滞でもしようものなら、クラクションを鳴らしてしまうかもしれない。
飛行機の旅で、天候不順による旋回を喜ぶ人なんていない。
他の空港に下りるなんてもってのほかだ。そうして、そんな事態になればみんなあくせくとして、目的地にたどりつくために全力を尽くすだろう。
でも考えてみれば、目的地はあるのだろうか。
確かに、目的地を他人に定められるのなら、目的地はある。
そこに遅れて到達するなんてもってのほかだ。
でも目的地があるとして、目的地に期限通りにたどりつくこと、が使命ではなく、目的地において求められる状態でたどりつくこと、が使命であるとすればどうだろう。
最初にたどりつくために、大事なことを捨ててきて、いち早くたどり着く人がいる。
遅れてたどりつくけれど、大事なことと一緒にある人がいる。
多くの人事制度は、いち早くたどり着く人を評価する。
でも実は、遅れてたどり着く人の方が、本質をわかっているかもしれない。
キャリアパスにおける道草は、出産や育児、介護かもしれない。いや、最近でこそ前向きにとらえられるが、社会人大学院に通ったり、今の仕事に直接関係ない(と思われる)資格取得なんかもそうだ。そもそも社会人大学院だって、いまなおその効果を認めていない会社がとても多い。僕が見てきた中では、NPO活動に携わったり、休職してアフリカで教師をしていた例なんかもある。
それらはすべて、人事制度においては、役に立たない道草だ。MBAをとることすら、キャリアアップとして認めない会社が大半だ。
でも、道草には可能性がある。
もちろん、道草ばかりの人生は、会社人生との縁を切ってしまう。道草ばかりしていて、会社で認められようとするのはおこがましい話だ(たまにそういう人もいるから、本当に意味のある道草をしている人が誤解されやすい)。
可能性だけを増やして、実を作らなければ、それは咲かないままで枯れた花と一緒だ。
だから、いち早くたどり着くことには大きな意味がある。
でも、道草をしながら経験を積んできた歩みにも、大きな意味がある。その道草を実にできるなら、さらに大きな価値を生むだろう。
僕は道草をも認める人事制度を提案していきたい。
きっとそれが、組織の柔軟性と多様性を高める、ダイバーシティの一環になると信じるからだ。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)