昇給をコントロールする人事制度の仕組み
※前回の記事の続きです。
コストとしての給与、相場に見合った給与、という二つの理由からあなたの給与は増えにくくなった、と書いた。
ということは、給与を決める仕組みがそういうコントロールが出来るように変わったということでもある。その仕組みと運用を知ることで、あなたたちは自分の給与が増えるメカニズムを知ることになる。それが企業の中のルールなのだから、知っておくに越したことはない。以下にその説明をする。
まず結論を言おう。
レンジレートと言う仕組みが増えない給与の根底にある。
レンジレートは転職の相場に合わせて設定された。そして、レンジレートは給与の天井を作った。そして、レンジレートによって年功昇給はその影をひそめた(年功昇給が完全に消えているわけではない、と言うことは後ほど説明する)。
こう書くと、じゃあそのレンジレートと言う仕組みを採用している企業はひどい企業じゃないか、と考えるかもしれない。あるいはレンジレートをやめればいいじゃないか、と言う意見もあるだろう。
しかし仮にレンジレートをやめたとして、企業はどのような仕組みを採用すればいいのだろう。
なぜ多くの企業でレンジレートが採用され、そして今なお公務員にすらレンジレートが採用されようとしているのか、経緯を説明したい。
バブル崩壊までの時代、給与は青天井であることが珍しくなかった。
仮に出世しない平社員のままでも、毎年給与が増えた会社が多かった。
物価もどんどん上がっていたので、あわせてベースアップと言う仕組みもあった。
例えば月給二十万円の平社員がいるとする。この会社の平均昇給額が一万円であれば、評価差はほとんどなかったので、誰でも一万円昇給した。
ベースアップはさらにその前の基本給の二十万円という金額に対して、インフレ率にあわせて一律で一定%を増やしたのだ。それが二%だとすればこの平社員の給与は二十一万四千円になった。
五十台以上の人ならばその時代を覚えていることだろう。
これらが年功昇給と言われてきたものだ。
それは日本全体が成長していたということと、物価がどんどん上がっていた、ということでもある。
さすがに平社員のままで二十年もたてば昇給額は若干抑えられ始める。
しかしそれでも数千円は必ず昇給はした。これがバブル前の給与の仕組みだ。
その結果、抜擢された三十五歳の課長よりも、その部下の五十歳の平社員の方が給与は多いこともあった。昇進しなくても給与が増え続けたからだ。
制度自体はそうならないように設計されていることもあったが、時代の要請がそういう年功的な昇給運用を加速させてしまっていた。
そして当時はそれでよかったのだが、バブル崩壊によって前提がすべて覆ってしまった。
将来の成長はあてにできない。
物価も下がり始める。
そんな状況で給与が自然増する仕組みを維持できる企業はどんどん減っていった。
だからレンジレートが導入された。
レンジレートはこの無制限の昇給に天井を設けた仕組みなのだ。
レンジレートが導入された当初、それらの企業の経営層はほっとした。やっとこれで年功昇給が解消される。これで人件費の自然増を抑えることができる。これこそが成果主義だ、と。
レンジレートでは、平社員なら給与の上限額は二十五万円、係長なら上限額は三十万円、というように上限を定める。
上限に至るまでは昇給するが、上限に到達すればそこから給与は増えない仕組みだ。
もしレンジレートが導入されずに、青天井のままの昇給の仕組みが残っていればよかったのだろうか。
あなたがもし順調に出世していく立場ならば、それはきっと耐えられないだろう。仕事は適当にこなすだけで責任を持たない人でも給与が増える。昭和の映画や漫画にたびたび登場する主人公たちがまさにそういう人々だ。あなたはそういう人を横目で見ながら、頑張ることのばかばかしさを感じることだろう。
年功序列には良い点も多かったが、そういったマイナスの側面も確かにあった。
年功昇給が色濃かった時代にそれでも優秀な人たちが頑張ってこられたのは、根底に日本全体として、そして企業全体として成長しようという意欲が強かったためだ。責任感の強い優秀な人たちに支えられて日本は強くなった。
さらに、優秀な人たちのために、人事的には別の仕組みがあった。それは同期同士での昇進競争だ。人事専門用語でいうとランクオーダートーナメントという。
ある年次が来るとその中で何人かだけが昇進する。昇進した人の給与がいきなりたくさん増えるわけでもないし、昇進しなかった人の給与がまったく増えないわけでもない。
しかし、その競争に勝ち抜いていけば、最終的に定年までの給与総額と退職金、そして給与以外の部分(例えば使える経費の上限など)で差がつくようになっていた。
勘のいい人ならすぐにわかるだろう。
青天井の年功昇給とランクオーダートーナメントの組み合わせは、終身雇用が前提なのだ。
能力や生み出した成果の違いは、会社人生すべての中で取り戻す仕組みだ。さらに人件費をコストとしてコントロールしないことが必要になる。
高度成長期とインフレの中でそれは成立できた。
低成長とデフレの現在、これらの仕組みは制度疲労を起こしている。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)