査定に満足している若手なんていない
誰しも新入社員だった頃があります。
内定をもらって、入社式、新人研修を経て配属される。そうして学生時代とは異なる環境で、新しいステージで活躍を始めてきました。
そうして1年がすぎると、昇給、という人事の仕組みに出会います。
1年目の額面給与額よりも五千円とか一万円とか増える。
なるほど、こうして給与は増えるのか、と実感するわけですが、そこで気づく人がいます。
同期はいくら増えたんだろう?
聞いてみたい気もするけれど、もし自分よりもたくさん増えていたら悔しい。自分よりも少なかったとしたら安心はするけれど、逆に相手から嫌な奴だと思われかねない。逡巡しているとそのうちどこからともなく噂が流れてきたりします。
大半の同期は八千円の昇給だったらしい。けれども一部に一万円昇給した奴がいるらしい、といった具体に。
さて、ではこのとき、八千円昇給した大半の人たちと、一万円昇給した人たち、どちらが満足しているのでしょう?
実際にある会社の2年目社員たちにアンケートを取ってみたことがありますが、結果は興味深いものでした。
とても満足している 3%
満足している 10%
どちらでもない 45%
どちらかといえば不満 30%
不満 12%
全体の結果は右のようになったのですが、満足しているのは全体の13%しかいません。多くの人は「まあこんなもんだろう」としか思っていないわけです。そして、不満を持っている人たちが42%もいます。
さらにこの傾向は、八千円昇給した人たちと、一万円昇給した人たちとでほとんど変わらなかったのです。
そこで追加調査をしてみると、こんな言葉を聞くことができました。
まず、八千円昇給した人たちから出た不満は主にこういうものでした。
「評価が間違っていますよ。私は大半の人よりも仕事で結果を出していたはずですから、ほとんどの人と同じように八千円昇給っていうのは納得いかないですね」
なるほど、彼や彼女らがいうことにも一理あるかもしれません。人事評価は、評価する側によって左右される部分があるからです。でも、1年目社員が出す成果にそれほど差があるとも思えない、という反論もできそうです。
また、「薄っぺらいのに自信満々な人」というベストセラーがありますが、そこに示されたように、人は正しい自己評価ができません。だから不満を持っているとしても、それ自体が違っているのかもしれないですね。
では一万円昇給した人たちは満足していたか、と言うとそうではないわけです。彼らからはどんな不満が出たのでしょう。それはこういうものでした。
「正直、納得してないですよ。圧倒的な結果を出したからこそ高い評価をもらってるんです。なのに差は二千円ですよ。月2時間残業したらそれでひっくり返るんです。これじゃ何のために結果を出したんだかわからないですね」
評価に差がついて、昇給額に差がついているのなら、たくさん昇給した方は満足しているだろう、と思いがちですが、そうではないのです。
なぜ良い評価を得ても、悪い評価を得ても、どちらにしても不満を持つのかと言えば、それは評価によって報酬が定まるからです。
なにをあたりまえのことを、と思うかもしれませんが、評価によって報酬が定まることは実はあたりまえではありませんでした。
日本でも戦前には職務給という概念が当然のように使われていました。スキルのある職工だったら一日働いていくら、というような考え方です。このとき、良い結果を出しているからといって一日当たりの賃金を都度変更することはありませんでした。
第二次世界大戦時代には家族構成や年齢で賃金が決まるようになります。戦後復興の中で年功主義として定着していくこの仕組みでは、やはり評価によって賃金を変えることはほとんどありませんでした。ただし、出世スピードややりがいのある仕事を任せるなどの、賃金に関係しない報酬は与えられていました。
しかし現在では新人の段階から評価され、報酬に反映されます。そうすることで自律的な成長を期待するとともに、結果を出した人に厚く報いようとするのですが、この人事の仕組みは十分に機能しない場合も多いのです。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
この文章は、2016年5月27日に新たにプレジデント社から出版する本の一部を抜粋したものです。よろしければぜひ全体を読んでみてください(予約購入していただくと忘れずに済みます)。