「決めようとしないのに決まる」経験がリーダーを壊す
組織のリーダーの要件はいろいろと言われているけれど、僕自身は「決めること」だと思っている。
なぜこういうことを言うかと言えば、リーダーの要件は「戦略を立てられること」だという人に出会ったからだ。
たとえば、ソフトバンクによるARM買収は、孫さんが七手先まで読み通せると自称する戦略性によるものだ、ということで、それはまあそれで納得性がある。
けれどももし孫さんが「決めること」ができない人だったら、買収は成立していないだろう。
可能性の話として言えば、「戦略を立てられること」は他人に任せられる。社内に優秀なメンバーがいれば、戦略の選択肢は増えるし、その中の優先順位もわかりやすくなるだろう。戦略コンサルタントという職業だってあるのだから、彼らに依頼するという手段もある。
けれども「決めること」だけは他人に任せられない。
だからこそ、リーダーは「決めること」ができなければいけない。
けれども、なぜか多くの会社に「決めること」ができないリーダーがたくさんいる。
なぜだろう?と思っていたのだけれど、最近気づいたことがある。
決めることができないリーダーは、決めなくても決まってきたから、決める経験を積めなかったんだということ。
そして、「決めようとしないことの方がものごとが決まる」という経験を積んできているということ。
早口言葉みたいで恐縮だけれど、マトリクスで描くとわかりやすいかもしれない。
僕たちが常識的に考えるのは、このマトリクスの中央のところ。
決めようとして、決まる。
決めようとしないから、決まらない。
この二つの結果はいずれもわかりやすい。
このような結果だけだと、人は「決めようとするから決まるし、決めようとしなければ決まらない」というごく当たり前の学習をする。
だからこのタイプの経験を積んだ人は、「決めること」を重視するようになる。
しかし、組織の中は論理的に動いているわけではない。
頑張って決めようとしたけれど、それぞれの利害関係を乗り越えられずに決まらないことだってある。図で言うと左のマスだ。
このタイプの経験を繰り返すと、自分の意志だけでは物事が決まらないという学習をする。結果として社内政治を重視して、事前の根回しをしっかりするようになるかもしれない。
とはいえ、それでも決めようとする行動についての前向きさは失われることはない。
一番問題なのは、右のマスのような結果が起きることだ。
それも、組織によってはひんぱんに。
誰も決めようとしない。
けれども、会議が終わって誰も反対しなかったから、決まった。
このタイプの経験を繰り返すと、そもそも「決めること」を意味のないことだと感じるようになる。
決めようとしなくても、決まることは決まる。
そうして、決めることに意義を見出せない人たちを「育てて」しまうことになる。
このタイプの人達は、正しい戦略があれば誰も反対しないから自然に決まる、と考えてしまう。
この場合「正しい戦略」というのは、時によって先進的であったり、あるいはリスクテイクするものだったり、保守的だったり、リスク回避的だったりする。けれども、戦略そのものについての議論は深まらず、ただ、積極的な反対者がいないということによって決まる、消極的多数決によるものだ。
そして、消極的多数決で良い結果が生まれたのを僕は見たことがないのだけれど、皆さんはどうだろうか。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)