ダイバーシティの本質はライフステージキャリアを認めることにある
以前書いた記事で「制約社員」というキーワードに反発しました。
この記事です。
制約社員なんていわなければいいのに - あしたの人事の話をしよう
反発したという事実は大人げないもので、その理由を明確に言えないような気がしていました。
でもようやく、自分なりにおちつく理由が整理できたので書いてみます。
反発ではなく、あるべきダイバーシティマネジメントとはこういうものだ、という観点です。
まず最初のスタンスは、一言で言うならば、滅私奉公を前提とした就業を求める姿が従来の人材マネジメントだったのではないか、というものです。
プライベートイベントは、「オフィシャル」な企業生活に支障のないものに限って許容される。
それが「制約のない状態」の社員。
一方、プライベートイベントの結果、「オフィシャル」な企業生活に支障を与える場合、その「制約」を是としながら、彼らをマネジメントすることで、彼らのポテンシャルなりキャリアを生かすことができる。
それが「制約のある状態」の社員のマネジメント。
以前の記事にも書きましたが、この内容そのものは決して間違っていない。
どころか、こういう人材マネジメントを多くの企業ができるようになれば、プライベートイベントを尊重した生き方をしやすくなるでしょう。
それはきっと良いことです。
でも、本質的に「制約のない状態」の方が「制約のある状態」よりも企業にとっては望ましい、という人事思想が背景にあります。
定期昇給に関する記事
(古き良き日本的経営の終焉がくる~定期昇給はどうなるのか - あしたの人事の話をしよう)
でも書きましたが、これは国家のための企業の人事思想です。
国富のために企業は存在する、と言う思想だとも言えます。
アダム・スミスを読み直せ、とまではいいませんが、彼が重商主義批判を行なったイギリスの世相と現在は似ているようにも思います。
商売というものの本質が三方良にあるとするならば、そのことを前提としてビジネスをするのが企業であり、グローバル環境下においてはそれは他国、他国民との共存共栄でもあるでしょう。自国だけが良ければよい、という発想は、自分だけが良ければよい、と言う発想につながります。
やがてそれは、「使えない人」の排除にもなります。
となれば、順序を変えるべきです。
人は皆「制約のある状態」が自然なのだと。
誰しも親から生まれました。
親にはその親がいます。
自分自身も結婚すれば配偶者ができます。
子どもが生まれることもあるでしょう。
大事な友人もできることでしょう。
それらがすべて「制約」の理由になりうる。
ならばそれがあたりまえなのだと。
企業生活のためにプライベートを認めない生き方を是とする人事思想から、脱却すべきタイミングが来ていると思うのです。
となると人事マネジメントの仕組みではどのようにすべきか。
概要を一言で言うなら、「オフィシャルキャリアの中断がマイナスにならない仕組み」です。
そのために準備すべき事柄はたくさんあります。
まず、職務が明確に定義されていない状態=指示しなくても仕事をしてもらえる状態、から、明確な職務と役割を定義している状態に移行しなくてはいけません。
新たな職務やポジションに採用されたときに、早期にキャッチアップできる教育の仕組みが必要です。
報酬においては、福利厚生部分の積み上げと経年厚遇をゆるめて、個人に移管する方が望ましい。
上下だけでなく、360度でのコミュニケーション機会を仕組化する必要があります。
さらには、ライフキャリアによって得られる経験=例えば出産、育児、介護、地域活動などで得られる経験の、ビジネススキル化が必要です。
これらは企業にとっても、個人にとっても、しんどい仕組みです。
共依存を解消することに他ならないからです。
しかし、こういったしんどさを乗り越えた先にこそ、目指すべきダイバーシティマネジメントがある、と私は考えます。
さらに一歩進めていけば、それは「プライベートイベント」によってオフィシャルなキャリアを中断せざるを得なくなっている人を活かす方法にとどまりません。
「他の人よりも能力的に劣るヒト」を活かすマネジメントにもつながります。
究極的には、障がいを持っている人との共存が図れる社会の実現にもつながります。
ダイバーシティマネジメントと言う考え方は、主婦や老人の雇用促進と言う側面だけでなく、より本質的な社会のあり方を私たちに問いかけている、と感じるのです。
以下自分への備忘です。
上記のように書いた自分への反論
「しかし、グローバル化は競争の激化をも生む。その競争に勝ち残るには、選ばれた一部の勝てる人材たちによる、勝てる集団作りが必須ではないか」
さらに反論
「勝てるビジネスのコアを限定し、そこに勝てる人材を集約すべきだ。『勝てる人材でないヒト』も活かすことを前提とした人材マネジメントが目指すべき姿ではないのか」
さらにさらに反論
「それは一企業が考えることではない。地域社会や国家全体として考えるべきであり、個々の企業そのものは勝てる集団として精錬されていくべきだ」
さらにさらにさらに反論
「だとすればすべての企業は、旬の人材だけを活かす使い捨て装置化する。一方ですべての企業には直接・間接を問わず顧客としてのヒトがいる。従業員はまた顧客でもある。そのことの矛盾にどう答えるべきか」
さらにさらにさらにさらに反論
「一企業としてはそれでいい。そのことは国家が考えるべきだ」
さらにさらにさらにさらにさらに反論
「エリノア・オストロム先生の論文読め。人材も極論すればコモンズだ」
さらにさらにさらにさらにさらにさらに反論
「それこそまさに極論だ」
以下延々と続く。
セレクションアンドバリエーション株式会社
平康慶浩