あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

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ヒューマンキャピタルに対する小考察

会社の中で人を育てようとするとき、ほとんどの場合、教育と言う手段がとられます。

職場での教育はOJT(オンザジョブトレーニング)といわれたりします。

OJTに対してOff-JTがありますが、これは集合研修や外部研修などのように、教育だけの場を設けて実施するものです。

 

これらは多くの場合、対象となる人に対して、知識を与えるために行われるものです。

知識にはいろいろと定義がありますが、ここではヒューマンキャピタル(人的資本)についての定義を示してみます。

 

知識の定義

1.拡大できる

2.使えば発展する

3.受け渡しができる

4.共有できる

 

この定義に基づく知識には、純粋な理論だけでなく、経験則なども含まれます。

そうして人は育っていくわけですが、ここから一つ、考えをめぐらせてみましょう。

 

会社で人が育つとどうなるのでしょう?

人を育てる目的と言い換えてもいいでしょう。

 

順序だてて考えてみます。

人は教育によってまず仕事を覚えます。

そののちに、効率的に仕事を進めることができるようになります。

さらにそののち、別の他人に対して自分の経験則を付け加えて、知識を与えることができるようになります。

 

そうして……ビジネスの一業務を担うに足る人に育つわけです。

言い換えると、人を育てる目的は、ビジネスの一業務を担えるようにするため、ということになるでしょう。

 

ヒューマンキャピタルと言う考え方は、教育に投資したお金や期間が資本として個人に蓄積され、そうして新たな利益を生み出していく概念を示しています。

 

興味深いのは、ヒューマンキャピタルそのもの「だけ」では利益を生み出せないことです。

ヒューマンキャピタルは、ビジネスの一部分を担うことによってはじめて利益を生み出す一部となります。

 

たとえばすばらしい知識を経験を持った技術者がいるとします。

しかし彼はそこに存在するだけでは、自分に蓄積されたヒューマンキャピタルを利益に変えることができません。お金に替える、という意味でマネタイズできない、と言ってもいいでしょう。

高度の技術者と言うヒューマンキャピタルをマネタイズできるビジネスに一部分となることで、はじめて彼は利益に貢献します。そしてその対価を受け取ることができるようになります。

 

このように、ヒューマンキャピタルは分業の中で初めて成立するものであり、かつそれだけでマネタイズできるものではない、といえます。

 

ヒューマンキャピタルを個人の目から見ると、それは自分自身の価値とも言い換えられます。

大学で学んだ知識や経験、入社してからの業務内容から得た技術、技能。

それらを自分自身の価値として、その価値をさらに高めていこうとするときに、やはりお金の見返りが必要になります。

それを報酬としましょう。

会社の中であれば昇給だったり賞与だったりします。

あるいは転職の際には新たに提示される高い年収水準でしょう。

 

でも、ヒューマンキャピタルをいくら高めても、高い報酬を得ることには限界があります。

もう一度、ヒューマンキャピタルを構成する「知識」の定義にまで戻ってみましょう。

それは「受け渡しができる」し「共有できる」ものなのです。

だから、いつまでも個人の中にだけとどまってはくれません。

 

ではどのようにすれば、高い報酬を得られるのかと言えば、2つの方法があります。

 

第一の方法は、ビジネスそのものを作り出すことです。

ビジネスとは、多くの資本を組み合わせてマネタイズする仕組みのことです。

資本には人間もあれば不動産もあればさまざまな機械なども含まれます。

場合によってはお金そのものの場合もあるでしょう。

それらを組み合わせた仕組みのことをビジネスモデルといいますが、そこには、作り出した本人は含まれてはいません。

独立した、マネタイズのための機械をつくりあげることを想像しましょう。

 

しかしこの第一の方法は、誰にでもできることではありません。

また、変動と言う意味でのリスクも大きい。

リスクは用いる資本それぞれにくっついてきます。

たくさんお金を投じれば、失う可能性が増えます。

大勢の人を雇えば利ざやをとれる可能性も増えますが、損をする可能性も高くなります。

機械を購入すれば使えなくなる可能性もあるし、古くなってしまうこともあります。

 

そこで、今社会で一般的な「サラリーマン」でありつつ、報酬を増やす本質的な方法を考えてみましょう。

そのための第二の方法は、弱いつながり(紐帯)を多く持つことです。

 英語ではウィークタイズ、と言いますが、常日頃会うことのない知人関係を増やすこと、と思っていただいて結構です。

 

サラリーマンである状態では誰しも、必ずいずれかの組織に所属しています。

その組織には、ビジネスの中で分担された業務があります。そこに所属しているサラリーマンはそこで知識を積み重ねてゆきます。

しかしそこで生み出される価値=報酬の源泉は組織の業務の枠を超えることができません。

生産部門は製品代金から原材料費その他を差し引いただけの価値を生み出します。

営業は販売額から原価を差し引いただけの価値を生み出します。

この価値をさらに高めていくためには、自分が所属する部門の中だけの知識では不十分です。他部門との交流が、自部門の価値をさらに高めます。

こうして書くとありきたりですが、大事なことはその他部門との関係を個人で持つということです。

専門業務に特化する、ある意味閉じた組織が前提としてなくてはいけません。

その中には強いつながり(紐帯)があります。強いつながり(紐帯)によって専門性は高まり、効率性が改善し、品質も向上します。

そうした閉じた組織同士をつなぐ関係性。それが弱いつながり(紐帯)です。

 

この弱いつながり(紐帯)は社外との関係でも生きてきます。

取引先、顧客だけでなく、競合企業も含まれます。

そうして、自部門=閉じた組織で生み出される価値はさらに高まります。

 

会社であればそのための交流機能を設計することになりますが、そこに所属する個人としては、個人としての弱いつながり(紐帯)を持たなくてはいけません。

 

この弱いつながり(紐帯)によって、サラリーマン個人に蓄積される資本があります。

社会関係資本、がその答えです。

英語では、ソーシャルキャピタル、と定義されます。

 

ヒューマンキャピタルとして自分自身に知識を蓄積し、

ソーシャルキャピタルによって価値と報酬に変える。

 

このような取り組みが可能になったのは、ひとつには情報システムの発展により個人が自分自身の中にビジネスモデルを構築できるようになったためです。

会社と会社ではなく、個人と個人とのつながりの中に価値がうまれやすくなったためです。

 

ヒューマンキャピタルの概念が、アダム・スミスによって提示されたのは18世紀中ごろ。

ソーシャルキャピタルの概念が、ジェームズ・コールマンによってヒューマンキャピタルとの関係において語られるようになったのが20世紀後半です。

 

21世紀の現在、ソーシャルキャピタルの現状を一層整理し、すべての人々がソーシャルキャピタルの効用を意識しながら自己研鑽できるようになれば、人々が得る報酬そのものをさらに増やすことができるようなるのではないか、と考えます。

それは新たな経済的価値の創出であるとともに、人間同士の関係性を前提とするからこそ、幸福の創出にもつながるのではないか、と考えます。

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)