話があわなくなっている友達がいる人へ(主にお金の話)
まだ20歳ちょっとの大学生の頃、高校時代の友人達と飲みに行った。
その中でひとり、たまたまお金がない環境にある友達がいて、それでも集まりには来てくれていて、それが楽しくてずいぶんと長居した。
酒の場に長くいればそれだけお金はかかる。
気が付けば、当時の僕たちにとってはそれなりの金額になっていて、もちろんその友達は支払えるわけもないような状況だった。
でも、友達たちの一人が「ああ、こいつの分、俺が払うから」と言った。
楽しかった集まりは、楽しいままに終わった。
「なんでなん?」
と後で聞いてみた。
「金ある奴が払うんがあたりまえやろ」
と言う返事に、僕はものすごく納得した。
それはごくあたりまえの友達関係なのかもしれない。
でも僕はその時から、友達を「お金」で測ることをやめた。
友達を集める飲み会では、必ず、来てもらうことを第一優先するようにした。
飲み会のお金が気になる友達もいる。だからなるべくそうならないように、いろいろと工夫を凝らした。来てもらうことが第一だからだ。
成功していない人が来れない友達の集まりなんて、くそくらえ、だ。
成功も失敗も、うたかたかもしれない。友が集まることが第一なのに、なぜ財布の中の金額で集まれないのか。
たまたま僕が成功している側にいたせいかもしれない。けれども、「なんでそんなに気を使う必要があるんや?」と言う言葉はたくさん聞いた。成功していても、たまたまの失敗をおもんばかれない人はいくらでもいる。
友達の年収の平均額が自分の年収になる、という意見がある。
10月に出す僕の新書で、それに対する答は出している。
たしかに、付き合っている人たちの平均年収は、自分の年収に関係してくる。
それは社会関係資本が自分の中に埋没するからであり、つながりが人的資本を形成するからだ(このあたりの詳細は上記の本を読んで欲しい)。
それはそれでありな考え方だ。
けれども、友達を年収だけで測れるだろうか。
もしその理論が正しいとしても、僕は友達である以上、友達たちの年収を引き上げるきっかけになりたい。
旧い友達を「話があわなくなっているから」と切り捨てようとしている人たちには思いとどまってほしい。
友達はお金では買えない、と言う言葉は、お金を持った後にこそ実感できるから。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
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