あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

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大学教授の毎年の論文発表数、公開してもらえませんでしょうか

今日はちょっと毒を吐く。

知人と会食していて、やっぱり日本の経済学とか経営学のジャンルの教授たち、おかしいよね、と思ったからだ。

僕の専門分野は人事マネジメントだけれど、人事は多様なジャンルに影響する。行動心理学、行動経済学は当然だけれど、労働経済学や教育学にも派生する。

で、それらの分野で論文を探す。

(お前が書けよ、というのはまあ置いといて。僕は修士号しか持っていないので、教授にはなれない。そもそも僕の仕事は、学問を実務に落とし込む仕事であり、それがコンサルタントだ)

 

学問とは基本的に、巨人の肩に乗って、巨人の身長を伸ばす作業だ。

だからこそ、どんな些末な論文にも意味はあるし、多少本筋を外れたとしても、「ああ、僕と同じこんな外れ方をした人がいたんだなあ」という確認にもなる。

 

でも、びっくりするぐらい、論文がない。

 

あったとしても、学者が実務者にこんな話を聞きました、というようないわゆる「ケーススタディ」ばかりだ。たまに「なるほど」と思えるものがあるが、それは中央官庁の役人による研究だったりする。

 

学者は何をしているのか。

 

経済学も経営学も、数式によるモデル化か、あるいは統計的な分析に基づく確認出なければ意味がない、ということはあたりまえじゃないだろうか。

いまどき象牙の塔と言う言葉すらばかばかしい。実務と学術の往復をする人も多い。そんな中で、成果としての論文がそれらをふまえた、一般化がされていなければ何の意義があるだろう。

 

多少知己とならせていただいている若手の学者がいる。

欧米の論文などを紹介しながら、これからの学問のあり方を論じている、有望な識者だ。彼のような学者がなぜ日本の大学に生まれてこないのか。

 

大学の人事制度にも多少たずさわった身から言えば、要は論文の量や質が彼らの雇用や給与に関係しないことが一因だとも思う。

論文を書かなくても、書いたとしてもそのレベルが低くても、教授は教授職を失わない。給与も下がらなければ、身分も失わない。

 

安定が研究に必要だということはわかる。

わかるけれど。

お願いだから、研究をしてほしい。

 

限定条件のもとでいいから、このような結論になったと論じてほしい。

このままだと、英文しか役にたたなくなる。英文論文しか参考にできなくなる。

 

L型とかG型とか、大学で学ぶ側の子どもたちをバカにする前に、あなた方が本当に学究者であるのか、自問自答してほしい。

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)