その勉強は今のためか将来のためか
マネジメントスクールや研修などで多くのビジネスパーソンに、マネジメントやリーダーシップのあり方について教えている(とはいえ僕の本業は、業績を上げるために人事の仕組みをどう設計するか、ということなのだけれど)。
そこで気づいたことがある。
僕の前に座ってまじめに勉強している人たちは、今のために勉強をしている割合が多いということ。
あたりまえ、と思うかもしれないけれど、多分それだけじゃ足りない。
僕がそう考えたきっかけは、受講されている人のこんな質問だった。
「やはり優秀になることをめざせばいいんですよね」
その時僕は、人事制度の中の等級の仕組みについて説明していた。
等級の仕組みは人事制度の根幹で、そこから評価と報酬が決まる。
等級の仕組みは大まかに分ければ、能力と職務とに区分できる。
発揮できる/している能力や行動が高まれば等級があがっていく、能力系の等級の仕組み。
一方、任されている仕事の責任や権限が大きくなること/そういう仕事に昇進することで等級があがっていく、職務系の等級の仕組み。
そして一人の受講生が頷いて、僕に尋ねてきたのだ。
その人はある会社の研究者で、能力等級の仕組みに頷き、そして「研究者にとっては、今行っている研究に一層力をいれることでさらに認められるような仕組みがあればなおよいということですよね」と続けた。
僕はその言葉に少しだけ、違和感を持った。
今目の前に与えられている課題を解決していけば、周囲に認められて、会社から評価されて、等級があがり報酬が増えていく。
それはそうなんだけれど、果たしてそれだけの理解でいいんだろうか、と。
それは多分違う。
そうして、今与えられている役割で結果を出そうと勉強することも違うのではないか、と考えた。
考えてみれば、能力系の等級制度があるのは日本くらいだ。
諸外国の人事専門家に対して、職能等級制度とかコンピテンシー等級制度、といっても、概念的なレベルで全く理解されないことも多い。本当に「申し訳ないが君が何を言っているのか全く理解できない」と言われたことすらある。
それだけ、職務によって等級が定まることがあたりまえだからだ。
ゆえに、学習というのは、今目の前の仕事のためにするだけではなく、将来別のポジションに昇進するために行わなければいけない。
今すぐには求められはいないけれど、いざというときのために学び、出来ればそういう職務への異動を含めてチャレンジするための武器として活用するもの。それが勉強じゃないだろうか、と考えた。
ということは、会社が行う教育研修も、管理職になった人を集めて勉強させるよりも、管理職になろうとしている人たちに勉強をさせ、その理解度や実践可能性を測って、新しい職務に就ける。そういう配置方法の方が、これからの人事の仕組みとしては求められていくのではないだろうか。
そういえば、僕が行っているアセスメントなどもそういう考え方に基づいたものだ。
今のための努力だけではなく、将来のために努力する。
それは書いてみればあたりまえのように読めるけれど、意外と多くの人が、今の為だけに努力している気がしてならない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
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