一人前の仕事にいくら払うべきか
同一労働同一賃金がスタンダードになっていく中で、給与水準というものはきっとなし崩し的に決まっていくのだろう。
それが市場メカニズムというものだし、それしかないとは思うのだけれど、専門家の立場としてはそこに理屈付けをしなければいけない。
なぜなら、市場メカニズムが働くのを待っているだけでは、アービトラージ(裁定取引)が生じる期間が長くなってしまうからだ。
労働市場におけるアービトラージ(裁定取引)問題はかなり深刻で、むしろそれが前提となって雇用という概念が成立しているのではないか、と思えるくらいだ。
労働市場のアービトラージを解消するためには、実は取引価格が限りなくゼロにならなければいけない。となるとそこには雇用という概念が極めて希薄になるだけでなく、組織における利潤という概念も薄れてしまう。
こう考えていくと、やがてマルクスの資本論的思考に陥りそうになるので、それはあまりにも不毛なので、その間の理屈をはっきりさせないといけない。
ということをむちゃくちゃ一言で言ってしまえば、
「一人前の仕事にいくら払うべきか」
ということになる。
多分そこには、「誰が」払うのかということも関係してくる。
「保証」の概念も関わってくる。払ったことに対する責任を、どれくらいの期間保証するかだ。
それは、対価という概念についてあらためて考えてみる機会に他ならない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)