新書のタイトル変遷
10月10日というキリの良い日に上梓したこの本。
4年前にベストセラーになった「出世する人は人事評価を気にしない」と同様に、大阪の紀伊國屋梅田店では、大規模に展開もしていただいています。
ぜひ皆様にもお手に取っていただければ幸いです。
ところで、この本を出すまでの裏話があります。
それは、本のタイトル。
著者である私の案から始まり、出版部の編集長や、営業の方々、大型書店の仕入れ担当の方などを交えて、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論がされました。
その変遷は以下のような感じです。
(著者案①)「人生100年という大選択時代に私たちはどう生きるか」
↓
(著者案②)「人生100年時代の出世戦略」
↓
(変遷) 「人生100年時代に僕たちはどう生きるか」
「人生100年時代の生き方戦略」
「我慢しない出世」
「出世する人は100才まで考える」
そうして最終的に今のタイトルになったのです。
ちなみに、初期のまえがきも、内容が違いました。
当初案では少々きつめの内容でした。その一部をご紹介してみます。
文体は新書らしく、だ・である調です。
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昔のえらい人にはことわざ好きが多かった。
たとえば「石の上にも三年」というのは、私が社会に出た1990年代初めくらいには当然のように言われていた。
新卒で入った会社でつらいことがあったとしても、せめて三年はがまんしてしっかりと働いた方が良い。
そうすれば社会人としての力もつくし、悪い評判もたたないから。
そんなことを言われていた。
あるいは、上司には季節の付け届け(お中元とかお歳暮などなど)はしっかりしろ。
なにせ「長いものにはまかれろ」というくらいだから。
会社でちゃんとすごしたければ上司には礼儀をつくしなさい、とか。
昔はある意味で正直な時代でもあった。
出世するためには「上司に媚びを売れ」と堂々と言われていた。
その一方で「できる男は多くを語らない」とも言われていた。
社会的な成功と生き様の美学とが並列で語られていて、それらが相容れない時代でもあった。
言い換えるなら、「仕事ができる」ということの意味が希薄だった時代だ。
しかしいまどきは、上司にこびへつらい出世するなんてありえない。
もちろん感情的にはそういう面もあるだろうけれど、そもそも前提が違う。
いまどきは「出世するほどに忙しくなる」からだ。
責任も重くなる。
それに対して2000年よりも前の時代は、出世すれば部下に仕事を押し付けてサボることもゆるされていた。
私のクライアントで、昔を懐かしんでそういう話をする60代前後の方もいる。
「私が若いころには出世すれば楽ができると思っていましたよ。けれどもどんどん
忙しくなる一方でしたね」
そう笑えるのは一流企業で役付役員にまで出世した実績があるからなのだけれど。
要は、こびへつらって出世しても、実力がなければすぐに居場所を失う時代だ。
また、昭和の映画スターのように背中で語る男であればよいのか、というとそうでもない。
なぜならそういう「できる人」たちはコミュニケーションをしないので、そもそも部下を育てたりチームに貢献したりしないからだ。
あくまでも個人での成果のみを重視する人たちだ。
そしてこのようなスタイルもやはりいまどきではない。
複雑で多様化している時代に個人でできることはたかが知れている。
チームで行動できない人にやはり居場所はない。
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で、最終的なまえがきがどうなったかはぜひ書店で手に取ってみてくださいね。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)