あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

(再掲)レモンマーケット論(4):元気な社会を実現するための労働市場のあり方

「使い勝手がいい人が優秀」という定義をどう変えていくべきなのか。
それが労働市場における需要側である企業側の変革のニーズということでもあります。

前回のブログ記事の最後を上記のようにしめくくりました。


では、その結果としてどのような労働市場が作られるべきでしょうか。

一つの仮説は、「能力に見合った職場で、企業と労働者がそれぞれ納得できる時間、働ける契約関係をつくりあげられる市場」というものです。

ただしこの市場には、良い面と悪い面があります。

良い面は、能力があるにもかかわらず、職を得ることが出来ていない人たちに職場をマッチングさせることができるということ。
例えば何らかの条件的な制約が生じたために職場を去った人たちにテンポラリーな職を与えることもできる。
出産、育児、介護などがその主な要因になるかと思います。高齢層に対してもそうです。
また、絶対的な弱者である方々。たとえば障がいを持っている方にも、その(ビジネスとしての)能力にみあった職場を提供することができます。

悪い面は、「相対的に」能力が低い人にはそれなりの職場しか与えられないということ。
この点については、10年以上にわたって個人的に悩んできました。
なぜなら、成果主義的な人事制度は、必ずそういう結果を生むからです。

評価をすれば、相対的に低評価な人が生まれる。
低評価な人には、低所得しか与えないということがあたりまえになる。

「そのことのなにが悪いの?」

コンサルティング業界の先輩、同僚、後輩、他社の知人・友人たちから、さんざん言われました。

「お前は経営を理解していない」
「じゃあ従業員を不幸にしない経営ってなんですか」
「そんなもの自分で考えろ」

そんなやりとりも何度も何度もしてきました。
経営とはなにか。
会社で働くということはどういうことか。
悩みまくって、人事と組織の世界では答えが出ないと判断して、ファイナンス系の大学院で勉強もしてみました。

結論として今理解しているのは、経営とは会社を立ち上げ存続させることです。
その会社を存続させるために必要なものが利益であるのならば利益を出さなくてはいけない。
成長であるのなら、成長しなくてはいけない。
会社の存続のために必要なものが安定であるのなら安定のまま変革してはいけない、と言う場合すらあります。

従業員とは会社を構成する一要素にすぎません。
従業員なしで成長している会社もたくさんあります。従業員なしで成長するビジネスモデルもたくさんあります。
そんな中、たまたま従業員を必要とするビジネスモデルの中で労働市場が形成される。
従業員を必要とするビジネスモデルの中でだけ、「優秀さ」が求められる。

実際会ってみればわかりますが、資産家や投資家たちは決して優秀な人たちばかりではありません。
親族が持っていた不動産や株式をそのまま運用し続けているだけで生計を立てている人はかなりの割合でいます。
そしてそういう人たちの中で優秀な人もいますが、そうでない人も多いのです。その割合は、ほぼ正規分布していると感じます。

繰り返しますが、企業社会における「優秀さ」とは人材を求めるビジネスモデルの中でだけ成立する概念です。
もしあなたが相手に友人関係を求めるのなら、「優秀さ」は求めないでしょう。
「いや、俺は相手が優秀なやつじゃなきゃ話もしないよ?」
そういう人も良く考えてみれば理解するでしょう。相手が優秀であることが重要なわけではなく、優秀な自分と話が合うことが友人に求める条件なのだと。
恋愛関係もそうです。相手が企業社会で優秀であることが生み出す価値とは無関係です。

広い意味で言う優秀さとは、現状を変える力です。
生まれながらの自分を覆う現状を変える力です。
そのことと、会社の中で出世する力とは異なるものです。
拙著でも書きましたが、会社の中で出世する人は優秀な人、というわけではありません。
「できる人」が上がっていきます。それは、能力が高い人だけではなく、会社と言う組織の環境にあわせて自分を適応させることができている人です。だから、「できる人」なのです。

であれば、労働市場を流通する労働力を「優秀さ」で定義することが難しい、ということがわかります。
その「優秀さ」は特定の企業でだけ通用する物なのか、普遍的な優秀さなのか、「できる」ということなのか。
これを定義するためには、明確なものさしが重要です。
市場を流通する労働力を商品として正確に値付けするためにも、商品の価値を明確にしなくては値段がつけられません。

その一つの答が、需要側である企業側が従業員に求める「優秀さ」の定義を明確にすることです。
今私が考えるものは、スキル(ハード&ソフト)を軸とした職務能力の定義です。
そして、「使い勝手」という条件面を最優先にはしない。

そうすることによって、企業側も逆に存続するに足る人材を獲得しやすくなります。
働く側では、「優秀さ」に見合った報酬を得るので、相対的に劣る人はそれに見合った報酬しか得られない。
しかし、定義が明確になっていれば努力の方向性も定まります。そうすれば相対的な「優秀さ」も獲得しやすくなる。
人的資本、という言い方をしますが、自己投資の方向性もわかってくる。無駄な自己投資も減らすことができます。

適正な市場をつくりあげるためには、その商品がどういうものかをはっきりさせなければいけません。
市場形成には、情報の非対称性の解消が重要だ、と言う考え方です。そもそも前回、前々回書いたレモンマーケットも情報の非対称性故に生じるわけですから。
解雇規制の緩和によって、情報の非対称性があったとしても市場が機能する状態を目指すことは労働市場においては正しい判断です。

一方で自然人としての人間がその売り手です。労働力が売れなければ生きてゆくことができないのが現在の社会です。
そのために自己研鑽をして労働力の質を高めるべきだ。それもあたりまえのことです。
でも、売れなければ死んでしまうかもしれません。

今は企業側が買い手として労働力を買いたたいている状態です。
これを改善するために、せめてどんなスキルが必要なのかをはっきりさせる。
そして、スキルを発揮できる社内環境を整える。
そうしてはじめて、労働市場が健全化するのではないでしょうか。


では、スキルの定義=労働力を商品として見た場合の値付け方法、をどうすべきか。
このあたりは単純に強制できるものではないので、企業側にとってメリットを増やせる方法を整理していきたいと思います。
次回、というわけではないです。

 

 

セレクションアンドバリエーション株式会社

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

2013年の記事ですが、思うところあって再掲してみました。

労働市場の変革については、2020年までをめどに少しばかり動いてみる予定です。

転職市場に厚みを持たせることができるだけでも、状況は変わると思っています。

(再掲)レモンマーケット論(3):「使い勝手の良さ」が優秀さの証?

前回までの記事はこちら。

 



何度かに分けて書いていると、そもそもの論点がぶれやすいので、思い出してみます。
そもそも、日経新聞2013年4月8日の社説「元気な社会へ新たな雇用ルールを」、についての感想から記事を書き始めました。
だから、日本における新たな雇用ルールをどうべきか、ということがこの記事の論点です。

日経社説の要旨は、「解雇規制緩和もいいけれど柔軟に転職ができる労働市場が必要だ」というものでした。
前々回の記事では、単なる解雇規制緩和だと労働市場がレモンマーケット化してしまう、と書きました。
前回記事では、労働市場がレモンマーケット化する仕組み、を書きました。
今回の記事は、労働市場で取引される商品としての労働力の特徴、についてです。

さて、日本の労働市場における「良いモノ」とはなんでしょう。
それは「日本企業にとって優秀な人材」ということになりそうです。
この優秀の定義がとても難しい。

前回の記事でも書いた、
⑥ 「日本の正社員は会社の指示通りに部署を移り、『なんでもやる』使い勝手の良い労働力」
という前提がそのまま「日本企業にとって優秀な人材」の定義であるとすれば。

「日本企業にとって優秀な人材」の定義はこう言い換えられます。
◆ 今野浩一郎先生言うところの「制約のない社員」であることは必須です。
   -家には主婦(主夫)がいて家事全般を引き受けてくれる。
   -育児についても主婦(主夫)が引き受けてくれるか、両親が担当してくれる。
   -家のローンがあったりして簡単に転職できない。だから単身赴任でもなんでも受諾する。
◆ 社内で有効な人間関係を数多く築いている。
   -新卒一括採用時に同期が大勢いて、話がとおりやすい。
   -上司部下とのコミュニケーションをしっかりとっている。
◆ ハードスキル(専門性)よりもソフトスキル(コミュニケーションやファシリテーション)に長けている。

うちはそうではない、という会社も最近増えてはいます。
でも、上記を逆に言い換えてみましょう。
◇ 転勤できないし、過度の残業・休日出勤できない事情がある。
◇ 中途採用で、俺お前で話せる同期がいない。
◇ ソフトスキルよりも、ハードスキルが高い。

こういった人材を、ハードスキルの高さゆえに「優秀」と言えるのであれば、その会社は従来型の古き良き日本企業から脱却しているといえます。

また、労働市場における商品である「労働力」には、他の商品にない圧倒的な特性があります。
これは前回の記事におけるレモンマーケットの形成理由②「そもそも悪いモノが市場に出回る確率が存在している」に関係する話です。

通常の市場であれば「悪いモノ」は行き場を無くして捨てられたりします。
でも、労働市場における商品としての「労働力」を捨てることはできるでしょうか。
その商品の持ち手は自然人としての本人です。

どこにも就職・転職できない人がいたとします。
どこの会社からも「あなたが持っている商品としての『労働力』は他の人に比べてよくないからいりません」と言われてしまった状態です。
さて、その人が「労働力」を捨てる、となるとどうなるでしょう。
働かない(働けない)ということになってしまいます。
それは、日々の糧を得る手段をなくし、憲法に定められた生存権を侵害される選択になる、可能性があります。

セーフティネットと言われているのは、要はそんな人にどう対応すべきか、と言う話なわけです。
対応は言ってみれば簡単です。政府提言も基本的に以下の二つです。

  対応1:労働力の質を高める(教育する)
  対応2:労働力の質にマッチする職場を探して働かせる

でもこれら「だけ」の対応では、本質的な問題解決にはなりません。
対応1は、その結果として、他の選ばれない人を生み出します。なぜなら労働力は常に相対的な評価を受けるからです。
だから対応2が重要ですが、そのマッチング基準はなんでしょう。基準がはっきりしていないと、そこには「誰でもできる」仕事しかでてきません。

現在の社会では、労働以外にも日々の糧を得る手段があります。
投資家/資産家になる、社会的分配にあずかる、というものが両極端ではありますが、労働によらない、と言う点では共通します。
しかし大半の人はそんな道を選べないわけで、やはり労働によって日々の糧を得られるようにしなくてはいけません。

となれば、労働力をマッチングさせるための基準を明確にする必要があります。
それは優秀さの定義の言い換えにもなります。
なにがどうできれば優秀なのか。それが「使い勝手がいい人が優秀」である状態を脱却することが、労働市場活性化のために求められる。
職場におけるワークライフバランスダイバーシティの醸成のためには、実は「優秀」の定義から見直さなければいけないわけです。

では「使い勝手がいい人が優秀」という定義をどう変えていくべきなのか。
それが労働市場における需要側である企業側の変革のニーズということでもあります。

ということで、次回、ようやく「元気な社会を実現するための労働市場のあり方」を書きます。


 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

 

2013年の記事ですが、なんとなく再掲してみました。