あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

人を選ぶ基準は一言で言えば「失敗を許せる基準」だ

会社の中の人事制度を作っていて、昇格とか昇進とか任用とかの条件を作ることがある。

ちなみに今あげた3つの用語は、現場ではこういう意味の違いがある。

 

 昇格:会社の中の等級をのぼること。

    例)3等級から4等級に昇格した。

      S3等級からM1等級に昇格した。

 

 昇進:会社の中での役職が上昇すること。

    例)課長から部長に昇進した。

 

 任用:特別な役職につくこと。たいていは役員。

    例)役員任用の基準をつくる。

 

 昇格しても昇進しない場合があるし、昇進したけれど昇格しない場合もある。

 たとえば、人がいないから「お前、来週から課長な」と言われたけれど、昇格したわけじゃないので、給与は変わらないということがある。

 逆に、課長のままだけれど「ポストがないから部長にはできないけれど、昇格試験には合格したから、M1からM2に昇格させることになった」ということで、役職が変わらないけれど給与が増える、とうこともある。

 

 これらの判断のときに、「なんとなく」とか「社長が気に入った人」とかを判断基準にしていると、10年くらいたってから後悔することになる。そういうときの後悔はたいてい役にたたないし、それまでの10年間の負の遺産がとんでもなくなったりする。

(ぜったい管理職にしちゃダメなタイプを、社長のお気に入り、ということだけで管理職にしてしまって、社内の実力派中堅やできる新人たちがことごとく離職してしまった、なんていう会社は珍しくない)

 

 じゃあそのための基準をどうつくるのか。

 細かい方法はいろいろあるし、その結果を踏まえた修正もどんどんしていくんだけれど、結局のところはたった一つの条件でしかに事に気付いた。

 

 それは「良い業績を上げてきた実績」ではない。

 また、「昇格や昇進や任用したあとに活躍できる可能性」でもない。

 

 もちろん理屈としては、上記の二つだ。

 今までに結果を出している人にチャンスを与えるのは周囲の納得性もある。

 さらに、中には、たまたま結果を出した人もいるので、実際に活躍できるかどうかを第三者の視点でチェックすることが有効な場合もある。

(例えば僕はかれこれ5年ほど、大阪市からそういう仕事を任されている。区長とか、局長とか、部長とか、あとは校長とかに昇進する人がいるときには、念のため、ということでチェックをする場合がある。他にもいろいろな企業でそういう取り組みをしていることも多い)

 

 しかし僕が気づいたのは、理屈ではない判断基準だ。

 選んだ人が失敗したときに、そのことを許せるかどうか。

 何回まで許せるのか。

 どういう失敗なら許せるのか。

 そして次にチャレンジしてもらうために、背中を押してあげられるか。

 

 緊張感を前提としながらも、失敗を許されて、再度チャレンジできる時、人は大きく成長することができる。

 成長することで、当初期待した成果を実現しやすくなる。

 そしてその期待は、会社の中に社風として息づいていく。

 

 だから選抜基準とは本質的に、失敗を許せる基準に他ならない。

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

 

 

 

コミュ力がない優秀な人はコミュニケーションで測れない

この数年、アセスメントを担当することが増えた。

ちなみにアセスメントと言うといろいろな意味があるけれど、人事面で使うときにはたいていが外部の第三者として面接をすることだ。

で、アセスメントをするときに、とても悩むことがある。

それは、コミュニケーション力が無い人の評価だ。

 

今僕たちが生きている時代においては、コミュニケーション力は必須になっている。

寡黙に背中で語る人があこがれられたのはずいぶんと昔の話。

今は積極的に自分の意見を示し、人と議論し、お互いに高め合える人が良いとされている。リーダーシップ教育でも、無言でいい、なんて教えることはない。

 

アセスメントの一場面に、面接があるのだけれど、たとえばそこでこんな返事をする人がどう評価されるか考えてみてほしい。

 

「あなたが今回部長に昇進したとして、どのように活躍されたいですか?」

「あ、いや……あ、あ、あの……」

「落ち着いて話していただいて結構ですよ」

「えーと、えーとえーと……」

 

こんなとき、面接をしている立場ではこう思う。

(面接されるとわかっているのに何も考えてこなかったのかな)

(ずいぶんとあがり症の様だけれど、こういう人に重要なポジションをまかせられるかな)

 

うまく自己主張ができなかったり、相手の質問に答えられなかったりする人は、周囲の人から高い評価を得ることは難しい。ビジネスの場では、採用試験からはじまり昇進試験や異動希望を聞くときなど、さまざまな場面で生じる問題だ。

 

しかし、わりと少なくない場面で、コミュニケーション力がない、優秀な人に出会うことがある。

 

たとえば上記のような面接の場に、そういう人が出てきた。

何を聞いても口ごもってばかりでまともな会話が成立しない。

そしてその場は部長への昇進判断の場だった。

普通だったら、僕の手許にあるアセスメントシートに不合格の点数を記載して、「はい次の方」となるところだ。

部長に期待するさまざまな行動についての確認ができないのだから仕方がない。どうしても最低点に近くなってしまう。

 

しかし、どこかがひっかかった。

そもそも、この人はなぜこの場にいるのか?

まったく期待されるところのない人が、選抜されて、決して安くない費用がかかるアセスメント面接を受けることがあるのだろうか?

 

ふりかえってみれば、アセスメント面接で落ちる人にはいくつかのタイプがある。

典型的なのは、勘違いしている人。次に卑屈な人。どちらも自分が前に出すぎていて、昇進したいという欲求だけが見え隠れする(卑屈な人というのも結局は自分が大好きな人なので、勘違いしている横柄な人と本質的には変わらない)。

しかしこの人はそのどちらでもなさそうだ。

 

そこで僕は考えを変えてみた。

まず、手許にある職歴や過去の評価データを再度見直してみた。

次に、この人が昇進した際につくであろうポストに期待される行動を見てみた。

そして、ゆっくりと言葉を選びながら、再度質問をしていった。彼が答えやすいように、単語で回答できる質問とか、YES/NOで回答できる質問などを織り交ぜながら。

 

結論として、この人は昇進した

アセスメント評価の結果は不合格の点数だった。

しかし僕はコメントにこう書き添えた。

「口頭でのコミュニケーション力に問題があるため、一般的なタイプの部長職に就くことは困難と思われます。しかし、今回彼がつこうとしている〇〇というポストにおいては口頭でのコミュニケーション力は必須ではなく、むしろ彼が蓄積し発揮している専門性をもって判断すべきかと思います。この専門性という点において、外部から改めて人材を採用することが困難です。また現在の彼の専門性レベルが極めて高いことが確認できます。以上の点から、一般的部長としての行動についての合格点には達していませんが、昇進させることをお勧めします。」

さらにその後の検討会でこういう提案をした。

「一律の『部長』という行動軸の設定だけでなく、専門性を確認できるアセスメントも必要です。そのためには、多面評価などの手法も取り入れながら、優秀な人材に漏れが出ないようにすべきではないでしょうか」

 

世の中には、コミュニケーションを必須としない能力がある。それもたくさん。

そういう能力を、コミュニケーションで測ろうとすること自体が実は無謀なことだ。

たとえば最近だと、ハイレベルな統計解析能力や、プログラミングなどの能力が重要だけれど、これらをコミュニケーションで確認することは不可能だ。

だからこそ、僕たちのような人事の世界の人間は、さまざまな手法を考えて、その人の優秀さを確認しようとする。

たとえば、アンケートなどを用いた多面評価という手法もある。

(ちなみに弊社で実施しているクラウドアセスメントサービスもあって、こちらもなかなか好評だ。)


人の優秀さは、一つのモノサシで測ることなんてできない。

もしその人の優秀さを理解できないとすれば、それはアセスメントをするこちら側のモノサシが足りていないだけなのかもしれない。

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)