会社が用意するキャリア
会社が従業員にキャリアを用意する、ということはいつから始まったのでしょうか。
そもそもフォーディズムが生まれたあたりでは、キャリアと言う概念は生産性向上と同義だったように思います。
で、いろいろと論文を探していたら、同志社大学の谷本啓先生の論文を見つけました。
Ciniiという論文サイトで、「キャリア論の台頭と人事制度改革の本質的課題」というものです。
ご興味のある方は原文をご覧ください。フリーで公開されています。
こちらの論文では、個人によるキャリア形成の促進、という現在の傾向について以下のように記されています。
「個人によるキャリア形成の促進とは、雇用保障のリスクを個人に転嫁することと表裏一体となったキャリア形成における自律性の付与である」
また、その本質について
「これまで企業が果たしてきた労働力の再生産に対する責任を放棄するとともに、労働力の再生産における労働者自身の負担と責任を強化する過程の現れである」
とも記されています。
企業側に労働力再生産の責任があるのかな?と疑問に思う点など、論調に疑問をさしはさみたくなる部分はありますが、わかりやすく定義されています。
論文の中ではより詳細に書かれていますが、私自身があらためて再認識させていただいたのは、論文で引用されているDouglas T.Hallによる行動科学の見地からのキャリア分類です。
1.立身出世としてのキャリア
2・専門的職業としてのキャリア
3.生涯を通じて経験した一連の仕事としてのキャリア
4.生涯を通じた一連の役割経験としてのキャリア
企業側から見た場合、せいぜい1~3までがキャリアの定義になります。
しかし4まで含めると、ずいぶんとキャリアの概念が広がります。
論文では例として、「主婦としてのキャリア」や「患者としてのキャリア」をあげています。
これらは一企業における雇用ポートフォリオでは不要なものです。
単一企業だけで見ると、上記の1と2だけで事足りる。
しかし、高齢層の活性化や、一度家庭に入った女性力の活性化、フリーターなどの経験者活性化などを考えるには、多様性を認めるキャリアの4番目の視点が必要になる。
セレクションアンドバリエーションとして掲げている「多様性の創出」の発展のヒントがここにあるような気がします。
もう少し研究を進めてみます。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)