あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

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経済も経営も、本質は「稼ぐ人を増やす」ということ

日経スタイルでの隔週連載は、執筆時に頭があっちいったりこっちいったりしてとても難産なのだけれど、その分だけ普段あまり考えない領域のことも調べられてなかなか刺激になる。

来週火曜日(8月23日)掲載分を書き終えて、ふと興味がわいたデータがあるので調べてみた。

 

アメリカと日本の生産性の推移だ。

 

もちろん、日本生産性本部とかがしっかりした分析をしているので、まじめに学ぶ人はそちらを見ればいい。

僕はただ、自分の手で分析しないと気が済まないからそうするだけだ。

元データが新しいものになっているかもしれないし、そもそも分析の方法自体が考え方のヒントになることもあるから。

 

そうしていろいろと比較をしてみた。

 

グラフ① 名目GDPと就業者数(パートタイマーを含む)の比較

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グラフ② 名目GDPと生産性(名目GDP÷就業者数)の比較

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グラフ③ 就業者数と生産性の比較

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これらのグラフを作ってみて、その上で、経済産業省が実施した審議会のこの文章を読んでみた。

「我が国は、2000 年代の生産性の伸びは1.5%と先進諸国と比較しても遜色ない
数字であるが、実態は労働時間を伸ばして頑張ってきた状況であり、いわば、長時間労働で生産性を確保する『やせ我慢の生産性向上』である。この結果、ワークライフバランスが欠如した就業環境となってしまっている。」

 

日本は生産性が低い。

それは長時間労働のせい。

だから、ワークライフバランスを高めなければいけない。

 

そういう理屈なんだけれど、ちょっと待て、と思ったわけだ。

グラフ①では、1990年くらいから日本の名目GDPが停滞していて、同時に就業者数も停滞していることがわかる。

一方でアメリカは、就業者数の伸びとGDPの伸びが比較的相関しているように見える。

 

これはつまり、働く人が増えればGDPが増えるのかも、ということを想像ささせる。

 

グラフ②では名目GDPと生産性を比較してみた。

これはまあきれいに重なるグラフになった。生産性とは、名目GDP÷就業者数で計算するので、名目GDPの形に大きく影響される、とはいえ、意外な気もした。

 

そしてグラフ③で、就業者数と生産性を比較した。

これはもう、見事にグラフ①と同様になった。

 

ということは。

生産性というのは結局のところ、「働く人の人数」でしかないんじゃないか

そう考えて僕はさらにもう一つ、データを探して分析してみた。

そうして作ったのが次のグラフだ。

 

グラフ④:名目GDPと労働時間指数の比較

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労働時間指数は厚生労働省の労働統計から簡単に引っ張ってこれる。

 

こうして見てみると、2つのことがわかる。

1.1990年ごろまでのGDP増加期間は労働時間は横ばい

2.1990年以降のGDP停滞期間では、労働時間は微減傾向

 

つまりGDPと労働時間は相関していない。

 

そこで僕はようやく気付いた。

そうか、生産性うんぬんじゃなくて、とにかく働く人を増やすためのダイバーシティなんだ。ワーク・ライフバランスなんだ、と。

今家庭に入っている主婦が働き始める。

60才以上、65才以上の人たちが働き始める。

そうすれば、GDPに対して上向きの影響が生じる。

 

なるほど。

だとすれば、もう一つ必要なことは、限定的な働き方しかできない人でも働ける産業を増やすことだ。

それはつまり、パートタイマーでも時間あたり50ドル以上の付加価値を生み出せる産業ということだ(なぜ50ドルなのかはこのあたりを見た概算値でしかない)。

 

今のところそれはスキマ産業的な発想がメインになっていて、とても50ドル/時間を生み出すことにはなっていない。

けれども、方向性が定まれば行動はしやすくなる。

50ドル/時間を生み出すビジネスで、働く人達にはそこから20ドルを渡す。

そんな構造を生み出すにはどうすればいいかをもっと考えてみたい。

 

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)

 

平康慶浩の日経スタイルでの連載はこちら。

出世ナビ|NIKKEI STYLE「プロが明かす出世のからくり」

「決めようとしないのに決まる」経験がリーダーを壊す

組織のリーダーの要件はいろいろと言われているけれど、僕自身は「決めること」だと思っている。

なぜこういうことを言うかと言えば、リーダーの要件は「戦略を立てられること」だという人に出会ったからだ。

たとえば、ソフトバンクによるARM買収は、孫さんが七手先まで読み通せると自称する戦略性によるものだ、ということで、それはまあそれで納得性がある。

けれどももし孫さんが「決めること」ができない人だったら、買収は成立していないだろう。

 

可能性の話として言えば、「戦略を立てられること」は他人に任せられる。社内に優秀なメンバーがいれば、戦略の選択肢は増えるし、その中の優先順位もわかりやすくなるだろう。戦略コンサルタントという職業だってあるのだから、彼らに依頼するという手段もある。

 

けれども「決めること」だけは他人に任せられない。

だからこそ、リーダーは「決めること」ができなければいけない

 

けれども、なぜか多くの会社に「決めること」ができないリーダーがたくさんいる。

なぜだろう?と思っていたのだけれど、最近気づいたことがある。

決めることができないリーダーは、決めなくても決まってきたから、決める経験を積めなかったんだということ

そして、「決めようとしないことの方がものごとが決まる」という経験を積んできているということ。

 

早口言葉みたいで恐縮だけれど、マトリクスで描くとわかりやすいかもしれない。

 

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僕たちが常識的に考えるのは、このマトリクスの中央のところ。

決めようとして、決まる。

決めようとしないから、決まらない。

この二つの結果はいずれもわかりやすい。

このような結果だけだと、人は「決めようとするから決まるし、決めようとしなければ決まらない」というごく当たり前の学習をする。

だからこのタイプの経験を積んだ人は、「決めること」を重視するようになる。

 

しかし、組織の中は論理的に動いているわけではない。

頑張って決めようとしたけれど、それぞれの利害関係を乗り越えられずに決まらないことだってある。図で言うと左のマスだ。

このタイプの経験を繰り返すと、自分の意志だけでは物事が決まらないという学習をする。結果として社内政治を重視して、事前の根回しをしっかりするようになるかもしれない。

とはいえ、それでも決めようとする行動についての前向きさは失われることはない。

 

一番問題なのは、右のマスのような結果が起きることだ。

それも、組織によってはひんぱんに。

 

誰も決めようとしない。

けれども、会議が終わって誰も反対しなかったから、決まった。

 

このタイプの経験を繰り返すと、そもそも「決めること」を意味のないことだと感じるようになる。

決めようとしなくても、決まることは決まる。

そうして、決めることに意義を見出せない人たちを「育てて」しまうことになる。

 

このタイプの人達は、正しい戦略があれば誰も反対しないから自然に決まる、と考えてしまう。

この場合「正しい戦略」というのは、時によって先進的であったり、あるいはリスクテイクするものだったり、保守的だったり、リスク回避的だったりする。けれども、戦略そのものについての議論は深まらず、ただ、積極的な反対者がいないということによって決まる、消極的多数決によるものだ。

そして、消極的多数決で良い結果が生まれたのを僕は見たことがないのだけれど、皆さんはどうだろうか。

 

平康慶浩(ひらやすよしひろ)