昇給が確実じゃないなら初任給を30万円にするしかない
今日も今日とて多くの方々の前で「給与を決めるために評価をしていたら誰も成長しない」とか「そもそも日本の評価制度って1990年台以降に生まれた仕組みでしかない」とか話していた。
そんで、評価報酬制度設計の本業に戻ってみれば、そこではやはり報酬の話を考えるわけで、いろいろと複雑な去来があったりする。
評価で報酬が決まらないのなら、何で決まるのか。
それはとりもなおさず、市場の取引価格として決まるのだ。
私はその取引価格が低すぎることが、すべての発端だと考えている。
たとえばこんなデータがある。
このグラフ自体は、厚生労働省の賃金構造基本統計調査平成27年版をもとに、私がいろいろといじくって出したものだ。多分、誰かが真似しようとしても出てこないデータだ。
要は何がいいたいのかといえば、あいも変わらず日本では、給与は右肩上がりで、それがとてもとても問題だということ。
このグラフは東京都で働く人たちの平均的な月収を示したものだけれど、平社員としての非役職者ですら、20代で20万ちょっとの給与が50代後半で50万円近くになっている。
もちろんこれは大企業を中心としたデータであり、中途採用で平社員で50才で40万円以上の給与がもらえるわけじゃない。
大事なことは、スタート地点にある。
新卒で働き始めた時の月給が20万円代だということ。
これが最大の問題だ。
言い換えよう。
どんな企業でも、就職活動のためのブランディングに力を入れれば、ピカピカの優秀な新卒社員を獲得できる可能性がある。それも月収にしてわずか20万円代で。
こんな状況で、だれがややこしい中途採用を選ぶだろうか?
そして、この金額で誰が結婚して子どもを産んで生活できるだろうか?
生活に必要な金額を低めに申告することが美徳のようになっているけれど、ぶっちゃけて言えば東京圏で、世帯年収1200万円ないと子ども二人を私立に行かせられない。
私立じゃないとしても、世帯年収800万円がなければ子育てはとても大変だ。賞与がなかったとしたら月給66万円くらい。年間賞与が3カ月だとしたら53万円くらいの月収だ。
要はそれくらいの給与がないと、家庭生活ができないのだ。
しかし新卒はそれだけの給与をもらえる手段がない(一部の、新卒でも高給を支払う会社を除く)。
さらに20代の平均昇給額は、2000年までは2万円/年くらいはあったのだけれど、直近では6000円くらい。10年で6万円アップ。昇格しなけりゃ30才で30万円の月給にもならない。年収で360万円+賞与で、500万円に届くか届かないか。
そりゃ結婚できないはずだ。
昨今、政府が昇給のために政治圧力をかけているけれど、それは正しいようでただしくない。だって、嫌ならピカピカの新卒を20万円とか25万円とかで雇えばいいのだから。
だから、たとえば戦前の日本がそうであったように、初任給でもちゃんと一家が生活できるだけの水準を支払うタイミングに来ているのではないだろうか。
実家から通う新卒社員へ支払う最低賃金プラスアルファ程度の給与水準と比較しながら中途採用活動を行う企業は、そろそろ己の身を正すべき時期に来ている、と私は考えている。
新卒をただちに家計を担える水準の給与で雇わなくとも、せめて3年以内に昇給させる仕組みが必要だ。20万円で雇っても、3年でせめて30万円にまで昇給する仕組み。30才までにはちゃんと結果を出せる人なら年収600万円にたどり着ける仕組み。そういう仕組みが必要だ。
新卒なんて使えないからそんなの無理だ?
いや、半年で使い物にする手段ならいくらでもある。そのために教育がある。
教育とは経験値で語る高齢者のうんちく垂れ流しではなく、心理学に基づいた、学習と実践との繰り返しだからだ。
とにもかくにも、新卒を安く買いたたくのはそろそろやめにしなきゃまずい。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
優秀な人材は学歴や性別などのラベルではわからない
1年前の記事だけれど、示唆にとんだ内容なので紹介してみたい。
1000人に1人しか入社できない狭き門のグーグルでは、大卒資格を有した社員は半数しかいない、という点がクローズアップされて、こんな記事にもなっていたりする。
(まあ大学を卒業する前にビジネスの場で活躍してしまって、卒業を待つ意味がなくなって中退したような超優秀な人たちということなんだろうけれど)
僕は、これらの記事の内容を企業の人事に活かすために、重要な点は一つだと考えている。
それは「人間」を見ること。
たとえばラスズロ・ボック氏が紹介している内容に、自己評価の高い男性は有害だが、自己評価の高い女性は有能だ、というものがある。それはそれぞれが育ってきた社会環境がステレオタイプにどのような行動を求めるようになったのか、ということを前提として考えなければいけない。単純に日本でも、自己評価の高い男性が有害、というわけではないかもしれないし、自己評価が高い女性が有能ではないかもしれない。
しかし、データに即して仮説を置き、実際に人の行動を見ていけば、まちがった思い込みは排除できる。
昨日僕はグロービスで授業を行いながら、それぞれの受講生が考える有能なリーダーについて語ってもらった。
その中で30代くらいの男性がこんな話をしてくれた。
「女性のリーダーのもとで働いていますが、とても有能な方だと感じています」
それはなぜ?と僕は聞いた。
「女性らしさ、というか、とても調整力が高くて、部下として仕事のやりやすさをいつも確保してくれます」
なるほど、それはたしかに。
「さらにこの方は、実は時短勤務をされています。みんなより1時間早く帰るのですが、それは1時間早いというだけではなく要は残業をしない、ということです。それでも、僕たちはこの人の下で働きたい、と思えるので、本当に優秀だと感じています」
他の受講生たちが「それはすごく優秀な人だ」という雰囲気になる中で、僕はいじわるな質問をした。
「それって『女性だから』って関係ないんじゃ?」
みんながハッとした感じになったので僕は続けた。
「気づくべきは、『女性なのにすごい』『短時間勤務なのにすごい』と感じてしまうことで、『自分とは違う』と思考放棄してしまう可能性があるということ。性別とか働き方じゃなくて、どんな行動がリーダーに求められるか。どんな行動を真似すればリーダーになれるのか、という点に気づかないといけない。だから人を『ラベル』で見ることは楽だけれど、その思い込みから卒業するようにしましょう」
性別とか学歴とかの「ラベル」(経済学的にはシグナル)で人を判断することはとても楽だ。日本で血液型占いが定着しているのも、それが一種のラベルとして機能しているからだろう。
考えてみれば、僕たちのまわりにはいろいろなラベルがある。
ラベルは端的に人を把握するのに役に立つ。
けれども、長く付き合っていく人に対してはラベルを外した状態で相対した方がよい。
それは言い換えるなら、人を見る軸を自分の中に持つということに他ならない。
企業の人事も、優秀な大学卒だから、ではなく、彼はFランク大学だけれども弊社がもとめる行動を高いレベルでとってくれるだろう、という自信を持った判断ができるようにならなければいけないということだ。
その確率がとても低いから、ついついラベルを活用してしまうのだろうけれど。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
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