国境を超える深夜特急(わたくしごとをかいています)
沢木耕太郎さんの有名な本は、東欧への旅から戻った時に知りました。
読みながら、キエフからプラハに向けて乗った特急列車のことを思い出しました。
当時はソ連からチェコスロバキアへ向かう列車だったのですが、今はチェコとスロバキアに分かれていますね。
列車はコンパートメントに分かれていて、二人がけの席が対面にあるタイプのものでした。
私以外に20代後半くらいの若い夫婦と子どもが同席していました。(当時の私は22歳ですから若い夫婦とは思いませんでしたが)
彼らのずいぶんな大荷物で、狭いコンパートメントはぎゅうぎゅう状態です。私のでかいリュックがそれに拍車をかけます。
奥さんと子どもは英語を話さなかったので、片言同士で旦那さんといろいろと話をしていました。
それでも別に話がはずむということもなく、特急というわりにのんびりと流れる車窓の景色をながめていました。
果てしなく続くシベリアのタイガ(針葉樹林)と違い、低い木々や街々が夕暮れを経て暗闇に消えていきました。
深夜、国境の駅へ。
1時間ほどの停車時間に車掌がやってきて、パスポートをチェックしました。
荷物をチェックされることもなく、ハンコを押すわけでもなく、ただ見るだけのもの。
それから再び列車が動き始めて、ようやくソ連からチェコスロバキアに入りました。
相席の子どもが寝息をたて、奥さんも大荷物に頭をもたせかけて寝ています。
旦那さんと私だけが起きていました。
列車が動き始めてしばらくして、旦那さんが大荷物の一つからビンを取り出しました。
新品のバーボンでした。
当時のソ連でバーボンは、たしか高級品です。というよりそもそも、とても手に入りづらい。
ルーブルでは買えず、外国人むけの外貨商品店でしか売っていなかったと思います。
ソ連の人は、旅行者と闇両替して手に入れたドルで、外貨商品店に行っていました。
そのバーボンの封を開けると、小さなコップを二つ取り出し、ひとつを私に手渡しました。
小さなコップにあふれんばかりに、たくさんの琥珀色の液体が注がれました。
「今日は記念日だ」
そう言って、彼はバーボンをあおりました。
私もあわせて、少しむせながら半分ほどをのどに流し込みました。
私のコップにまだ液体が残っているのを見ると、それをあけるように彼がうながします。
覚悟を決めて残ったバーボンを干すと、さらにそこに注がれます。
それから彼は、問わず語りに話してくれました。
キエフの近郊で生まれ育った子供の頃。
奥さんと出会ったなれそめ。
学校を出て働き始めたこと。
結婚して子供が生まれたこと。
それから、ソ連で起きた様々な事故や事件と、それが彼ら家族にどんな影響を与えたのかを。
「もうあの国には戻らない。今日が旅立ちの日だ」
それから二人でコップを手に、灯りのないまっくらな車窓を眺めつづけました。
いつしか寝入ってしまった私は、肩を揺り動かす手に目を覚ましました。
気が付けばもうすぐプラハに到着する頃です。車窓から差し込む朝日にも気づかないほど深く寝入っていた私は、反射的に飛び起きました。
それを見て、私を起こした手の主が笑います。
「良い航海を」
すでに荷支度を整えた彼が私に手を差し出します。後ろに奥さんと、その背に隠れるように小さなお嬢さんがこちらを見て手を振っています。
握り返した彼の手は、指が太くて手のひらがごつごつして、いろいろなものをがっちりと握りしめる力強さを感じさせるものでした。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)