あしたの人事の話をしよう

人事コンサルタント 平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

まじめな話と、雑感(よしなしごと)とがまじっているので、 カテゴリー別に読んでいただいた方が良いかもしれません。 検索エンジンから来られた方で、目当ての記事が見当たらない場合 左下の検索窓をご活用ください。

育休って、ダイバーシティと何も関係ないよね

ダイバーシティっていうと女性の活躍。
女性の活躍っていうと育休、ってつなげて考える人が多いですよね。

まったく関係ないと思うんですけど、そう思いませんか?

以前のブログで、「制約社員」って言葉が気に食わない、って書きました。
まるで滅私奉公社員があたりまえで、そうでない社員は全部制約がある、ってことに見えますよね、って。
日本企業でのダイバーシティも同じような定義に見えます。
滅私奉公社員があたりまえで、そうでない条件を持った社員に対して、育児休業とか、時短勤務とか、コアタイムを決めたフレックスとか、なんとかかんとか。

これらはすべて、「同質性」が前提の考え方です。
滅私奉公、とまではいわなくても、同じ時間同じ場所で働ける人があたりまえで、そうでない人は同質ではない。でもそれを認めることが多様性であり、ダイバーシティである。

馬鹿にすんなよ。
って思う人はいないんでしょうか。
少なくとも、私はそう思います。
同質でないから異端であり、異端であるから許容してあげる。

異端であるから許容してあげる。

ふざけんなよ、と異端の道しか歩んできていない立場としては強く思います。


もちろん、同じ時間同じ場所で過ごすことには大きな意味があります。
複数の人をまたがる仕事はとても簡単に調整ができるし、コラボレーションだってできます。
意図しない新たな発見だってある。気づいていなかった他人の良いところも見える。

そんなときに、「なんでいないんだよ。あ?!育休?」とか「時短で帰ったぁ?」とか思うことはもっともかもしれません。
でもそれを我慢してあげる。だってうちの会社はダイバーシティを重視してるんだから。

やっぱりバカバカしい。

異端があたりまえだったら、どうなるでしょう。
「あ、今日はいるんだ。じゃあちょっと打ち合わせしようか」
「あの人次にいつ来るんだっけ。アポとっとこうか」
「今自宅?じゃあスカイプで打ち合わせできるときにまた返事ちょうだい」
そんなやりとりが目に浮かびます。

同質性を重視してきた企業では、どうしても、同質性を基準にした「許し」の制度をつくろうとします。
でも、ダイバーシティとは、多様性が前提となるということです。
多様性とは許すことではないのです。
ダイバーシティとは、多様性とは、同質性の否定なのです。

多様性のための仕組みはとても簡単です。
働く時間に自由度をたかめなくても、そもそも裁量労働なら問題ないわけです。裁量労働といっても、勤務時間を定めてはいけません。そもそも会社にこなくていい、と言う意味での裁量労働です。それなら労働基準監督署も認めてくれますから。
育休なんてつくるよりも、会社に乳児を連れてこれるのならそれだっていいわけです。
乳児の泣き声が嫌な人は、逆にその人が、自分が働きやすい場所に行けばいい。そもそもそんな人は、そういう会社には顔を出さずに、自分でどこかに仕事部屋を確保することでしょう。

同質性を前提としたダイバーシティには違和感しかありません。
そして、そんなダイバーシティは、建前だけの閉塞感を生みます。
そもそも、同質性を捨てることができるかどうか、がダイバーシティ導入の前提として必要です。

同質性を重視しながらダイバーシティを作り出したいのであれば、育休とか時短とかコアタイムありのフレックスとかよりも、もっと良い方法があります。
それは「コアデイ」の設定です。
この日だけは会社のためだけに過ごす。仕事に関係のない自分の条件はすべて解消して、その日だけは同じ場所、同じ時間を同じ条件で過ごす。
それは例えば週に一日とか。それ以外は、連絡さえとれれば、どこでいつ仕事をしていてもいい。
(それができないのは、個人に任せる仕事が決まっていないから、ということもあったりしますが、そこは話がぶれるのでまたどこかで書きましょう)

もちろんこれは極端な例です。
ただ、同質性を維持しながらダイバーシティを目指す、と言う企業は、自らが示す言葉の矛盾に立ち戻ってみてはいかがでしょう。


平康慶浩(ひらやすよしひろ)