(本当は怖い)民話と人事 第1回 大歳の客とマレビトと終身雇用
良い教訓を教える民話から、昔の村社会の生活スタイルを読み取れることがある。
それはそれぞれの民話が成立した時代には当然のこと、あるいは暗黙のことだったりしたのだけれど、現代の視点から見て恐ろしいことがある。
僕は高校生の頃まで民俗学者になりたいと思っていたこともあって、民俗学の本を乱読していた。乱読だし、図書館で借りた本ばかりだったし、メモも残していないのでうろ覚えの部分も多いのだけれど、今になって思い起こしてみれば、現在の僕の本業であるところの人事マネジメントともつながるような気がしている。
そのつながりを整理して、ああこんな風に理解していたな、と思い起こすために書き記してみようと思う。
思いついたものから、ぼちぼちと書いてみる。
第1回は「大歳の客」。
誰にでもわかるようなタイトルでいえば「傘地蔵」だ。
大歳の客のストーリー概要は以下のようなものだ。
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年の暮れ、雪深い村に一人の旅人がやってくる。
旅人は一夜の宿を求めるけれども、どの家でも断られる。
村はずれの貧しい家の住人たちだけが旅人に軒先を貸してあげる。
翌朝、旅人は金塊に姿を変えていた。
そして村はずれの貧しい家の住人は裕福な生活を送れるようになった。
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傘地蔵でいえば、「傘だけでなく自分がかぶっていた手ぬぐいまで地蔵に与えること」で「地蔵が恩返しにたくさんの年越しの土産をもってきてくれた」というようにストーリーが組み変わっている。
とはいえ、話の筋道に大きな違いはない。起承転結で整理すると以下のようになるだろう。
【大歳の客のストーリー】
起 貧しい人が村人以外の人に良いことをする
承 報われずそのまま貧しい状態におかれている
転 不思議な来訪者がある
結 富を与えられる
上記で村人以外、と書いた相手は地蔵だったり旅人だったりするのだけれど、民俗学ではマレビトという言い方をする。漢字では、客人(マレビト)、と書く。
大歳の客を論じた文献では、ソトからやってくるマレビトは神と同じようなものであり、マレビトをもてなすことで富を得られる、という分析をする。
なぜマレビトが神と同じようなものなのか、といえば、マレビトはソトからやってくるものであり、ソトとは死後の世界を暗喩するからだ。
死後の世界というものが、地続きのはるかかなたにあるという発想は太古からあるし、一つの村しか知らずに生きてきた人々が、村の外から来る旅人をマレビトとして扱うことは不思議ではない。
ここまでであれば、大歳の客、はいい話なのだろう。
しかし一説では「大歳の客」とは、陰惨な事件をほのめかしているという。
旅人と村人との大きな違いに、通貨を所持しているかどうか、というものがある。
民話が成立する時代において、村は村の中だけで生産から消費まで完結する状態にあった。村の中で生産できないものを手に入れる際に通貨が必要になるが、それは簡単には手に入らない。
傘地蔵の主人公も、編み笠を売って通貨を手に入れようとするけれども失敗する。
しかし旅人は生産手段を持たないために、旅の費用としての通貨を所有している。
大歳の客、とは、そのような旅人をとらえて殺し、所持している通貨を奪うことによって栄えた家が流布させた言い訳の物語だという説があるのだ。
ある日突然栄えはじめた家に、村の人々がたずねる。なぜそのようなカネがあるのか?
実は旅人を泊めてやったところ、朝起きてみればカネの塊に変わっていたのだ、と説明する。
なるほど、善行をほどこすと良い見返りがあるのだなぁ、と村人たちは納得する。
なぜこのような整理が、僕の本業である人事マネジメントに関係するかと言えば、それは村社会と企業社会とが似ているためだ。
村社会と企業社会が似ている原因はいろいろあるけれど、僕がここでとりあげる原因はひとつだけ。
終身雇用、が村社会と企業社会とを類似させている。
村で生まれた多くの人が村で死ぬように、新卒で入った会社で終身雇用される人は、企業人としての最後(定年)までその会社から抜け出すことはできない。
だから村(終身雇用の企業)の中でのつながりを深めてゆく。
こうして理解してみると、民話と人事マネジメントとのつながりを想像できるようになる。
大歳の客では、マレビトが富をもたらす存在として描かれる。
それが陰惨な事件を暗喩するのか、あるいはソトから来たものを優遇すれば富を得られるのだ、という教訓を示しているのかはわからない。
しかし、大事なポイントは「マレビト」という発想にある。
企業でいえば、中途採用者がこれにあたるだろう。
スキルはある。
しかしその分だけ報酬も高い。
そして企業の慣習とは異なる行動をとる。
彼らを活用することができれば、企業は成長や利益などの富を得ることができるかもしれない。しかし、使いつぶしてしまっても「やっぱりジョブホッパーはだめだよな」と言ってしまえる。
マレビトがやがて村に根付き、有力者になってゆくという民話も多い。
典型的なものに一寸法師や桃太郎がある。
僕が考え込んでしまうのは、このマレビトという発想を解消できないだろうか、というものだ。
もしマレビトだけの村ができたら、そこにはマレビトという発想はなくなるだろう。
富をもたらすものだけの集団がそこにできる。
人がうつろう分だけ集団としてのつながりは弱くなってしまうが、ソトと村との境目は限りなく薄れてゆく。
それはとても素敵な理想の一つのように思えるのだ。
そのためには、きっと終身雇用をやめなければいけないのだけれど。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)