藤子・F・不二雄〈異色短編集〉が現在にマッチしているということ
セレクションアンドバリエーションの平康慶浩です。
マンガの話ですが、書評と言ってもいいと思うのです。
ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
- 作者: 藤子・F・不二雄
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1995/07
- メディア: 文庫
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- 文庫版は1995年発売ですが、中に掲載されているのはたしか1980年代の作品です。
ドラえもんの作者らしからぬブラックな内容がほとんどです。
でもそれはブラックな話を書いているのではなく、世界観や時代が変われば、常識がこう変わってしまうというものだったりもします。
私が一番気になったのは「間引き」と言うタイトルの短編です。
ネタバレになるので詳細は書きませんが、もしかするとそういうDNAが生物としての人類に備わっているのかもしれない、と考えこみます。
最近、痛ましい事件が多いです。
いわゆる常識としての「家族愛」「隣人愛」は薄れていくことが定まっているのだろうか、という風にも思えたりします。
繁栄の対価が個の確立、自由の獲得だとすれば、それはつながりの遺棄であるようにも感じます。
一方で「いや、別に痛ましい事件は増えていない。昔の方が多かった」という意見も聞きます。統計でもそのように証明できるようです。
だとすれば、もともと人類に愛情なんてものはない?
誰も人とつながりなんか持ちたくなかった?
そんな嫌な読後感が心に残ります。
この文庫は4冊セットでも発売されています。
他の巻を含めて、複雑な読後感が残ったのは以下の作品でした。
「じじぬき」
「パラレル同窓会」
「定年退食」はSFですまない気がします。この時代の漫画家さんには「飢え」がかなりキツイ記憶として残っているのでしょう。
そして「飢え」という単語は、これからの20年の間に復活する単語のように思わされます。
「コラージュカメラ」はもう実現してしまいましたね。USBっぽいコネクターとか。
30年前の作品であるにもかかわらず、考えさせられます。 - 平康慶浩(ひらやすよしひろ)