あしたの人事の話をしよう

セレクションアンドバリエーション株式会社 代表取締役 兼 グロービス経営大学院HRM担当准教授の平康慶浩(ひらやすよしひろ)のブログです。これからの人事の仕組みについて提言したり、人事の仕組みを作る立場から見た、仕組みの乗りこなし方を書いています。

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なぜ給与は頭打ちで増えなくなってしまうのか

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 年功序列の時代なら、どんな業界であってもどんな人でも給与は自然に増えた、と思われるかもしれない。会社の規模などによって意外とそうではないのだけれど、少なくとも統計上の平均額では今の三倍以上昇給しているので、とりあえずはそう考えておくことにする。

 

給与が増えなくなった第一の理由

 ではその時代と何が変わったから給与が増えなくなったのだろうか。

 第一の理由は人件費がコストとして管理されるようになったからだ

 業界全体で売上が下がっていることを、『構造不況』と言う。典型的な業界は建設業だ。国の公共投資で潤っていた部分が非常に大きいため、その公共投資が削られていくと、業界そのものが小さくなってしまう。

 同様に解釈すれば医療や介護のような業界も構造不況だと言える。

 そもそもすでに日本で非常に少なくなっている鉱業なども該当する。

 そういう業界では、売上が増えないけれども、すでに多くの企業が存在するので競争が激しくなる。


 また、飲食や生活関連のサービス業も『構造不況』業種と言ってもいいだろう。なぜなら、人口が減るとともに高齢化が進んでいるからだ。サービス業は消費が減るとどうしても業界全体の売上が縮む。一方で新たにサービス業に参入することはそれほど難しくないので、やはり競争は激しくなる。


 競争が激しくなると、商品の値段を下げる企業が増える。お客様の側だとそれはとても嬉しいことのように思うのだけれど、企業側からすれば死活問題だ。なぜなら企業が存続するためには利益を出さなくてはいけない。しかし売上が減ったら単純に利益も減ってしまう。


 だからコストを削る。

 かつて人件費は聖域と言われていた。給与を下げる、なんてことはどの会社でもほとんどありえなかった。従業員の権利を守るための法律も整備されているから、多少の理由では下げようとしても下げられるものではなかった。だから、人件費は『固定費』と言われていた。
 しかし今、人件費はほとんどの企業で『変動費』だ。固定費とか変動費というのは、売上が変わることでその費用を変化させられるかどうかによる。

 

 コンビニエンスストアの例で言い換えてみよう。コンビニの家賃は『固定費』だ。仮に店を一カ月閉めていたとしても家賃は支払わなければいけない。一方で商品の原価は『変動費』だ。売れた商品の分だけが費用になる。もちろん売れ残りは発生するけれど、そうして売れ残った商品は次回の仕入では量を減らしたりする。そうしてなるべく売上にあわせて原価が変動するようにコントロールする。

 ではコンビニエンスストアで働く人の給与はどうだろうか。

 仮に全員が正社員だとすれば、人件費は『固定費』になる。

 しかし実際にはそんなことはない。正社員はせいぜい一人か二人で、あとはシフトに基づいてアルバイトが働いている

 忙しそうな時間帯にはアルバイトを増やし、お客様が少ない時間帯にはアルバイトを減らす。これが人件費が『変動費』になっている状況だ。

 

 小売店や飲食店ではだいたい一九七〇年代くらいからアルバイトを積極的に活用するようになっている。だからこれらの業界では早い時期に人件費が変動費としてとらえられていた。

 日本の産業の中心である製造業や建設業でも期間工や現場作業員は変動費としての人件費として扱われることも多かった。

 しかし圧倒的に正社員が多かったのも事実だ。そして正社員の給与はほとんど『固定費』だった。

 その正社員の、固定費としての給与を変動させなければ、企業が立ちいかなくなった。

 構造不況の業界ではもちろん、バブル崩壊リーマンショックなどの全産業に影響するような大きな事件が起こる中で、多くの企業で聖域としての正社員人件費を守ることができなくなった。

 それらの企業では、最初に賞与を変動させた。昔ならば毎年〇カ月分、と年度初に賞与支給月数を決めていた企業も多い。しかし今は多くの企業が業績にあわせて変動させたりする。評価を反映することも一般的だ。
そして次に昇給についても同じように改革を進めた。評価によって昇給額に差をつけるだけでなく、平均的な昇給額を下げる企業も多かった。業績によって昇給額を変える企業もあった。

 徐々に、徐々に、正社員給与も変動費に変わっていった


給与が増えなくなった第二の理由

 給与が増えなくなった第二の理由は、人を相場の給与で入れ替えられるようになったからだ。

 この本を手にしているあなたは、転職と言う選択肢を当たり前のように考えているかもしれない。しかしほんの二十年前、転職はあたりまえではなかった。

 転職する人は、なにか悪いことをしたとか、あるいは性格が変わっているとか、そういう理由で前の会社にいづらくなったからやめたのだ、と思われたりした。優秀な人が転職したら、良い条件があれば元の仲間を捨てる酷いやつだ、と見られたりもした。転職なんてするよりは一つの会社で、良いこと悪いことも飲みこみながらじっくりと頑張る人が優秀だと見なされていた。

 そのため、企業は中途採用がとても難しかったのだ。そもそも転職しようとする人が少なかったし、そういった人たちの職種や年齢も限られていた。

 しかし今や全年代、全職種で転職が可能になっている。様々な経験を積んだ優秀な人たちが転職を考えるようになっている。

 だから企業側からすれば、新卒を採用して十年二十年かけて育成しなくても、他社で育った人を雇えばよくなった。その結果、今社内にいる人たちについて、優秀な人だけ昇給させて、そうでない人はやめてもらってもいい、という風に考える企業も出てきている

 また、転職を支援するための人材紹介会社が増えることで、転職についての『市場』が作られた。

 『市場』とはそこに売り手と買い手がいて成立する。転職において売り手は転職する人本人のようだけれど、自分が売りたい値段、つまり転職時に希望する給与について強気にはなりづらい。生活がかかっているからだ。だから自分の経歴だと、どれくらいの給与で転職できるのか、ということを誰かに確認する。それに応えるのが人材紹介会社だ。

 人材紹介会社には逆に買い手の情報がある。例えば経理課長のポストであれば、大手であれば八百万円だけれど、中堅だと六百万円、中小企業だと五百万円、といった具合に、これくらいの年収でいいのならそういう経験とスキルを持った人を雇い入れたい、という企業側の要望だ。

 人材紹介会社にすれば、成功報酬で自分たちの手数料が決まるのだから、なるべく高い年収で転職をさせたい。一方で、転職した人がその年収に見合った活躍をしてくれなかったら、企業側からの信頼を失ってしまう。だからそのせめぎ合いの中で『転職の相場』を作っていく。

 それが『市場原理』だ。

 つまり、『給与の相場』が出来てしまったのだ。

 だから長く勤務しているからといっても、相場に達していればその人の給与を上げる必要はない。転職したとしても今よりも高い給与をもらうことが難しければ、その給与に甘んじるしかない。むしろ相場に見合うだけもらえていれば幸せだ、とすら思ってもらえるかもしれない。

 仮に不満を持たれたとしても、良い人材はどんどん転職市場にあらわれる。それでなくても買い手市場と言われるくらいだ。

 つまりコストとしての給与、相場で決められる給与、という二つの理由からあなたの給与は増えにくくなったのだ。コストとしての意識が強い業界や企業ではさらに厳しいことになっているだろうし、相場が低い職種ではやはり給与の天井は低くなっているだろう。
 では、今後これらは解消されるのだろうか。

 

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平康慶浩(ひらやすよしひろ)