人事制度を変えても、組織風土まで変えることはできなかった
※前回の記事はこちら。
ここまで説明してきたレンジレートだが、実はもう少し厳しい人事制度の導入も多くの企業が検討していた。それは職務給だ。
職務給というのは日本以外の世界標準的な仕組みだが、簡単に言えば仕事で給与を決める、というものだ。性別や年齢や、国籍や人種に関わらず、同じ仕事をしていれば同じ給与になる、と言う仕組みが職務給だ。
これはもともと男女の違いや国籍、民族、年齢などを理由とした給与格差を排除するために欧米で導入されたものだ。
前提として、職務等級と言うものを定める。例えば営業課長の職務等級は八、総務課長の職務等級は七、といった具合に。
ただ、たまに誤解されるが、総務課長だったら一律で年収五百万円、というように等級別に給与が一律に決まるものではない。職務給も通常はレンジレートが前提となっている。例えば総務課長だったら四百五十万円からスタートして五百五十万円までは増える、というような具合に。
同一金額はシングルレートと言う。そしてシングルレートの給与体系を導入している企業は多くはない。
では日本でもレンジレートを導入したのだから、職務給になったんじゃないか?という疑問があるだろう。
そうではないのだ。
日本でバブル後に導入したのはあくまでもレンジレートだけだ。前提となる等級は以前とほぼ同じか、あるいは多少等級の数を減らした程度でほぼそのまま使っている。
それはこういうことだ。
高度成長期に日本で流行した人事の仕組みとして、職能等級というものがある。例えばある年次に五人がいるとする。二人は晴れて課長になるが、後の三人にはポストがない。しかし、もし彼らをそのままにしておいては、組織のチームワークが乱れるかもしれない。あるいは単純にやる気を失ってしまう可能性もある。また、彼らがとりたてて仕事ができないわけでもない。ただ課長に選ばれる二人が優秀だっただけだ。残る三人にもぜひ頑張ってほしい。
だから残る三人に対して、ポストがなくても給与を増やす仕組みが必要だった。それが職能等級だ。
職能とは職業を遂行する能力、と言う意味で、単純に言えば能力で等級を定める仕組みだ。同じ年次で同じような経験をしているのだから、能力はほぼ同等だ、という理屈だ。
この職能等級自体は、高度成長期、団塊に代表される増え続ける若手世代、物価のインフレ、といった当時の社会状況に適合した画期的な仕組みだった。
しかしその後、職能等級の運用の中に年功がしみついてしまった。
目に見えない能力を測ることは難しいし、その仕事をちゃんとやっているかどうか、横に貼り付いてチェックすることもできない。だから一度昇進や昇格で等級があがったあと、その人がちゃんと能力を発揮しているのか、成果を出しているのか、厳密なチェックが出来ない企業が多かった。
だからすでに上がっている人たちを、『あなたは職務にふさわしい能力を発揮していないから降格させます』ということができなかったのだ。
給与は毎年増える。昇格や昇進をしたら下がることがない。これは年を取れば給与が増える、ということとほぼ同じ意味だ。年功はそのまま多くの企業の組織風土になってしまった。
そしてバブル崩壊後の人事改革で、この職能等級をほぼ維持する形で、レンジレートを導入した企業が多いのだ。職能等級はあまりにも一般的になりすぎていたから、見直すことはとても難しかった。もし見直したとしたら、すでに上がっている誰かの等級を下げないといけない。その説明はさらに難しかった。
結果としてどういう仕組みを採用したのか。
レンジレートは定める。つまり等級別の給与の上限=給与の天井は定める。
一方ですでに与えられている等級は維持する。その等級にふさわしくない人材もいるが、等級を下げることはしない。そんなことをしたら社内の序列が崩れてしまう。チームワークが崩壊したり、やる気を失う人が頻出するかもしれない。
だから、等級を下げないかわりに、その等級の中で給与が上がりにくくしたのだ。
ある等級に長く居続けたら給与が増えにくくした。給与を増やしたければ同じ仕事、同じ役職にいるのではなく、昇進しなければいけないようにしたのだ。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)