人事制度改革はまだ見ぬ若者を犠牲にして行われた
前回記事はこちら。
給与に天井を定めるレンジレートの仕組みの中で、今すでにもらっている給与がレンジレートの上限を超えている人たちについては、調整給で現在の給与を維持する仕組みが導入された。
例えばレンジレートの上限が三十五万円で、実際にもらっている給与額が四十五万円なら、差額の十万円を調整給、として支給し続けた。
そして、人件費の枠は決まっていたから、高齢層の給与を減らせないから、全員の昇給幅を減らした。(すでに高い給与をもらっていた人も不満を言った。昔ならもっと増えたのに、と。)
しかし、新たに入ってくる若者にとってはそれが当たり前になった。
平均昇給額が減り始めたのはこの頃からだ。
若者に対して特に制度は厳しかった。
しかし企業は若者に厳しくした、と思っていなかった。むしろ若者の昇給額は増やした、と考えていた。確かに中高齢層よりも若手の昇給額は大きく設計することが一般的だった。
でもそれは、バブル以前の昇給額とは比べようもない低い金額にせざるを得なかった。
結果として、すばらしい成果をあげる若者だけが高齢層の給与に追いつけるようになった。普通の人たちにとってそれはとても厳しい現実だ。
さらに環境が変わった。
その典型が、一物一価だ。
同じものが市場に並んでいるのなら、たとえ最初は値段が違っていても、やがて同じ値段になるという経済学の考え方だ。
この一物一価の理屈が給与にもあてはまるようになってきている。
これまでにも書いたが、第一の理由は転職市場が出来たから。転職が当たり前にできるようになったから。
つまり、あなたの労働力は商品になったのだ。
労働力としてのあなたの値段は、転職サイトや求人誌に記載されている。
第二に、売っている商品なら、安い値段に入れ替わっていくという市場原理だ。
市場原理はすべての商品に適用されてしまう。それが商品である限り。
今やWEBサイトで最安値を探すことも簡単だ。電化製品だけでなく、様々な生活用品の値段をまずWEBで検索し、そのあとで送料やアフターケアなどを考えながら、総額として最安値で売っている店で買う、ということは多くの人が当たり前のようにやっている。
だから企業も、あなたの昇給判断をするときにそうしているのだ。そうできるようになったのだ。
求人サイトに募集広告を打ちさえすれば、よほど特殊な職種や業界でない限り多くの人が応募してくる。たとえブラック企業とわかるような会社にすら多くの応募者がある。企業はその応募者の中で最も優秀そうな人物を、最初に決めた企業側の言い値で雇えばよい。
仮に言い値で良い人材が雇えなかったとしても、多少給与をつり上げさえすれば人を気軽に雇い直せることに変わりはない。
さらに言えば、正社員でなくてもできる仕事は契約社員や派遣社員に取って代わられるようになった。それは経験がなくてもできる、専門スキルがなくても習熟すればできる、そういう仕事だ。
あなたの労働力は、最終的に最安値で売買される。
あなたを昇給させなくても、新しい人を雇えばいい。
かつてこの一物一価をもって、派遣社員や契約社員の給与水準を正社員に合わせていくべきだと論じた人たちがいた。同じ仕事をしている人の給与は同じ額にすべきだ、ということだ。
その論客たちが言ったように、一物一価は確かに浸透してきている。
しかし市場の論理を考えれば当たり前にわかることを彼らは論じて来なかった。
一物一価は最安値に収れんするのだ。
正社員の給与が、派遣社員や契約社員の側に近づくのが市場原理なのだ。
もしあなたの労働力としての値段が日本国内だけで決まるのであれば、派遣社員や契約社員という仕組みを禁止すれば多少の改善はあるかもしれない。しかしここまでに書いたように、景気の悪化に伴う昇給額の低下、年功の影響を弱めるためのレンジレートの導入といった変化があることを考えればどうだろう。
今派遣社員のあなたが正社員になったとしても、すぐに年収が激増することがあり得ない、という想像はつくだろう。
そして労働力としてのあなたの値段は、今や国内だけで決まるわけではない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)