没頭できることで人生を過ごそう
今回の日経スタイル記事へのアクセスがなかなか好調らしい。
働くこととストレスとの関わりについて論じた内容だ。
で、結論としては、ワークアズライフの礼賛という、まあ私なりのポジショントーク。
私はどうもワークとライフとをバランスさせる、というワークライフバランスという言葉がしっくりきていない。
だって、まるでワークが悪いことみたいだからだ。
そりゃ、食べるために嫌々やっている仕事としてのワークなら、逃げ出したい気持ちもわかる。
けれども、逃げ出した先にあるのは、ライフなんだろうか?
ワークから逃げ出した先にあるものは、やはりワークなんではないだろうか。
そもそも僕は、ライフの中の様々なイベントもワークだと考えている。
単純な話、炊事、洗濯、掃除ってライフだけれどワークでもあるんじゃないだろうか。
そして、炊事がイヤで、洗濯が嫌で、掃除が厭という人だっているだろう。いや、かなりいるだろう。ちなみに僕は炊事も洗濯も嫌いじゃないというレベルで、掃除は嫌いだ。
で、まあもしそれらがライフでなくワークであると定義するなら、炊事も掃除も洗濯もしないのがライフということになる。
この場合のライフとは、「自分がやりたくないこと全てを除外した活動」ということになるだろう。
それはもしかして、快楽だけにすべての時間と気力と体力を使う生活だろうか。楽しそうな気もするけれど、3日で飽きそうだ。いや、一週間はいけるかも?
さて、一方、その「自分がやりたくないこと全てを除外した活動」の中に、いわゆる仕事が含まれている人がいたら、それはどうすればいいんだろう?
たとえば文章を書くのが好きで、その文章が多くの人に受け入れられていて、作家と名乗っている人だっている。彼にとって文章を書くことはワークかもしれないけれど、ライフでもある。
なにが言いたいかというと、要は僕はコンサルティングが趣味なので、それ自体がワークでもありライフでもある。評価基準のサーベイ結果に基づく多変量解析をしていたり、年令や等級別の賃金分析とかしていたりすると、時間がすぎるのを忘れるほど楽しい。スマホゲームなんて目じゃない。
だから僕にワークライフバランスをとりなさい、って言われたら、それはつまり掃除をせずにずっと評価報酬制度を作っている状況、ということだ。そしてそのための方法論を論文で探したり、書店で他の人の考えを調べたり、他社のやり方を学んだりして、気力が尽きたあたりで酒場に繰り出す状況だ。
まあそんな感じが僕にとってのワークライフバランスでワークアズライフなんだろうと思う。
そして、そういう生き方をしている限り、ストレスとは無縁だ。
だからストレスと付き合うのが苦手な人ほど、ワークライフバランスよりもワークアズライフをお勧めしたい。
ただ、多分そのとき、ワークもライフも、使われる意味が違うと思う。
ワークライフバランスは、「仕事」と「私生活」とのバランスをとろうということ。
ワークアズライフは「没頭できること」で「人生」を過ごそうということ。
私生活よりも人生の方がきっと楽しい。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)