AIプログラミングってロールプレイングゲームのレベル上げみたいだ
新しいものはとりあえず手をつけとこうと思って、ようやくだけれどこの本を買った。
僕はいろいろな人のブログをフォローしている。
この本の著者の清水亮さんのブログもいつも更新を心待ちにしている。面識はないけれど、会ったら緊張しそうだ。
清水亮さんというのは、なんというか、マネジメントもしているのに、自分でもガンガン手を動かしている人で、そのあたりにとても共感する。これからの経営者は手を動かせる人じゃないとダメなんじゃないか、とかも思うし。
いっとき、自分で手を動かす状態から、人を動かす状態にならないといけない。それが管理職であって、マネジメントだ!みたいな風潮が流行ったけれど、イマドキではないと思う。
日経スタイルの連載でも示したように、そうやって「管理職」になった人たちがやがて60才になって、何もできない人になってしまう。
つまり、組織を動かす管理職、というのは、60才で引退する時代の幻想でしかないということだ。
人生100年とは言わないが、まあ70才くらいまでは少なくとも働くんだろう、という時代には、管理職のあとにまた自分で手を動かす時代がやってくる。
だからそもそも管理職や経営者になったからといって自分で手を動かすのをやめてしまったら、それは将来の自分の首を絞めているようなものだ。
いいなおすとしたら、「組織を動かす」というのは単なるスキルの一つでしかないということなのだ。管理職や経営者は、そういうスキルを持った方が良いことはもちろんだ。けれどもそれだけをやる人になってはいけないのだ。
手を動かしてプレイヤーとしても成果を出すし、人に働きかけて組織としての成果も出す。それが現在のあるべき成長の姿だと考えていて、そういう状態のことを僕は「エンパワーメント・プレイヤー」と定義していたりする。
で、僕自身は80才とかになっても手を動かしていたい。
高校生のときに自分の死に方を想像することがあって、その時から僕はこういう風に死ぬだろう、というイメージがぶれていない。
「わしはまだ死ねんのじゃー」
そう言いながら、仕事のことを指示しながら死ぬイメージだ。僕的にはそれはとても幸せなイメージなのだ。
で、AI時代が来るということで、それもやっぱり自分でAIの設定くらいできるようにならなきゃない、と考えて清水亮さんの本を買った。深層学習プログラムを組んでみようと思ったのだ。
んでわかったことが二つある。
(最初に言い訳しておくと、まだ読んだだけで、実際にワークステーションを手に入れていないので、実際にプログラミングはしていない。あと、プログラミングの現場からも離れて久しいので、トンチンカンなことを言っているのかもしれない。その点はご容赦を)
第一に、すでに多くのAIプログラムのパーツ(APIとか各種テンプレートとか)が、ほぼ無料でたくさん公開されているらしいということ。
だから本に書かれているAIのソースコードはおそろしくシンプルだ。
まるで関数を呼び出すように、画像認識などのテンプレートを呼び出していじっている。
だとすると、AIプログラミングにおいてやるべきことは、それらのテンプレートが認識できるように、データソースのあり方を整理することだ。
AIが理解できるように、何をどう示すのかを整理するということ。
それって、ど素人に仕事の進め方を教えるのと一緒じゃないか、と気づいた。
そうして、なぜIBMとかグーグルとかがAIのための各種ツールである、APIを公開しているのかがなんとなくわかってきた。AIとしての深層学習プログラムを使いこなすということは、そうして作り上げたプログラムに、どれだけたくさんの経験を積ませるか、ということだということ。となれば、APIそのものも使いこんでもらって、ダメなところは改善してもらった方がよい。ソースコードそのものに大きな価値はないのだ。
言い換えると、僕が気付いた第二のポイントは、AIも経験値が必要だということだ。
それもできれば、良質な経験の方が良い。そしてなるべくたくさんの種類の経験の方がよい、ということだ。
そこまで考えると、AI活用には二段階のステップがあるのだろうと思った。
ドラクエとかのロールプレイングゲーム的に言えば、第一のステップは目的を選んで、仲間を選んで、装備を選ぶ段階。
ドラゴンを倒すためにバランスの良いパーティを組んで対ドラゴン装備で固めるのか、最速でダンジョンの最深部にたどり着くために速力があって戦闘や罠を回避しやすいパーティと装備にするか。
それらが第一のステップ。
第二のステップは、そのためにどんな経験を積ませるか。
ドラゴン退治を目指すパーティには、なるべく強くて堅い装甲の敵と戦う経験を積ませた方が良い。一方でスピード解決を目指すパーティには、戦闘ではなく危機回避の経験を積ませた方が良い。
AIもきっと同様なんだろうと思ったのだ。
チェスや将棋や囲碁で経験を積んだAIに、たとえば経営環境分析を指せようとしてもそれは機能しない。もちろんベースになるプログラムは活かせるのかもしれないけれど、新しく経験を積み直させなければいけないだろう。
そしてそれは、どのように経験を積ませるべきか、という読み取らせ方もとても重要なのだろう。
そこまで考えて、日本に住む僕たちにとって難しい点がある、と気づいた。
多くのプログラムがそうであるように、深層学習プログラムはアルファベットで構成されている。
だから、日本語をベースにした経験をAIに積ませるには、そもそも日本語を解釈するためのステップを一階層分組み込まなければいけないのだろう。
だとすれば、それはとてつもなく面倒なことだ。
とはいえ、AIというものがかなり身近に感じられるようになった。
なるべく早いタイミングで、画像認識をする深層学習プログラムくらいは組んでみたい。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)