人の不幸を喜んでしまうことは自然な感情なのだけれど
以前こんな記事を書きました。
この記事では、幸せを感じる要因を3つ紹介しています。
幸せを感じる要因、というのは、逆に言えば、不幸を感じる要因でもあります。
欲しいものがあるけれど今それが手に入らない。
昔は成功していたけれど、今は落ちぶれている。
自分が持っているものよりも、近しい他人が持っているものの方が良い。
こんな時に人は不幸を感じると、ある心理学者は言います。
シンプルでわかりやすいフレームですね。
ところでこの中で、他人の持ち物よって幸不幸を感じる点については、少し違った見方ができそうです。
自分と他人の持ち物の比較ですから、他人の持ち物が悪くなれば幸せになる、という考え方です。
実はこれにはちゃんとした心理学の定義があります。
シャーデンフロイデ(Schadenfreud)といいます。
ドイツ語で、Schadenは損失、Freudeは喜び。
意味は「他人の不幸を喜ぶ気持ち」あるいは「大喜び」というものです。
アーロン・ベン・ゼェヴというイスラエルの哲学者はシャーデンフロイデが生じる条件を3つあげています。
第一に、本人に落ち度があること。
第二に、不幸が大きすぎないこと。
第三に、偶然起きた結果であること。
たとえば、時間にルーズな友人が寝過ごして期末試験を受けられず再履修になってしまった場合に「これであいつも少しは改心するだろう」と思うような感情です。
けれどもたとえば同じ友人でも、試験当日に駅で朝早くに見かけたので驚かせたらホームから落ちて大けがをしてしまい、複数の試験を受けられなくなったために再履修どころか留年が確定してしまい、せっかくの企業からの内定を失ってしまったりすると、シャーデンフロイデは生じないわけです。
まあこの場合には訴えられても仕方ないかもしれませんが。
このような研究は、1990年代以降に実証研究が進んでいます。
人の心理はこのようなメカニズムによって構築されている、と。
ふと思うのは、そうして人の感情に対する研究がさらに進んだとき、人はそれを自分ごととしてとりいれ改善できるのだろうか、ということです。
せっかく解明されたメカニズムも、人というのはそういうものだ、という免罪符として使われるのかもしれません。
そのような心理もまた、解明されるタイミングは来そうですが。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
※この記事は10月28日に配信した、セレクションアンドバリエーションのメルマガ記事を加筆修正したものです。