人生に目標をたてると落伍者になります
photo by Angus柒
僕は、就職活動中の若者たちの前で必ず話す言葉があります。
「目標は立てちゃだめです。ばかばかしい夢を持ちましょう」
なぜこんなことを言うかと言うと、目標を立てて、それを達成するために頑張ることは、人生において一利はあっても、害の方が大きいからです。
就職活動中の若者たちは特にそうです。
そのことを理解するために、子どもの頃のお受験にまで戻って考えてみましょう。
希望する幼稚園に入学できなかった。
希望する小学校に入学できなかった。
希望する中学校に入学できなかった。
希望する高校に入学できなかった。
希望する大学に入学できなかった。
これらはみんな、心に傷を残します。
僕が知り合った就職活動中の若者たちの中で、明らかに優秀なのに、自己評価が極端に低い人たちがいました。
それは、彼が高校受験に失敗したから。希望した大学に入れなかったから。
そうして自嘲的な笑いがしみついていたりします。
目標を達成できなくて、そのことがトラウマになっている人は大勢います。
就職活動もそうです。
入りたい会社を決めると、そこに入れなければ挫折してしまいます。
もっと本質的に言えば「就職する」と言う目標すら、挫折を生み出してしまうことになるわけです。
良く考えてみれば、新卒からすぐに就職なんてしなくても活躍している人はいるわけです。
あるいは、ブラック企業に就職したあとでも、そこをやめたあと、自分の望んだ人生を歩んでいる人もいます。
フリーターを続けて起業して成功した人もいます。
そういえばマクドナルドを退任する社長ももともとは高卒のアルバイトですね。
いやいや。お前は外資系コンサルに新卒で入って、順風満帆で生きてきたじゃないか。そんな奴に上から目線で話されたくないよ、と思われるかもしれません。
僕は決して順風満帆な生き方はしていません。
あまり詳しい話を書くと後々困るので書きませんが、僕もまた、挫折だらけだと思いながら生きてきた人間の一人です。
でも、他人から見れば順風満帆に見えてしまう、こともある。
それはまさに、目標を達成することが素晴らしい、と考えてしまう弊害だと思います。
大事なことは目標を達成することではありません。
どんな状態になりたいのか、ということであって(これを専門用語では「状態条件」と言ったりします)、そこに具体的な目標を設定してしまうと、成功してもなお満足感を得られません。
会社のルールである人事の世界では、目標管理制度というものがあります。
僕は目標管理制度をどう使いこなすべきか、というセミナーの講師もしていて、その評判はかなり高かったりするのですが、そこではこんなことを話しています。
「目標管理制度はダメな仕組みです」
ほんとうに、目標で人を管理するなんて、うまくいくわけないんです。
(セミナーでは、でも仕組みとしてある以上はうまく使いこなさなきゃいけないので、その勘所を説明しています)
目標管理制度の背景にある思想は、有名な学者であるピーター・ドラッカーさんが1950年代に示したものです。
Management By Objectives and Self Control
と言う概念です。
略してMBOといったり、MBO-SCと言ったりします。
この概念は、マラソンみたいな場合には役に立ちます。
次の電柱までは走ろう。
次の曲がり角までは頑張ろう。
前を走るあの人に離されないようにしよう。
そうして目の前に目標をたて続けていけば、やがて42.195kmを走りきることができます。
体力がなくても、途中で休んでよければ、やがてゴールにたどり着くことはできるでしょう。
でもそれで?
勘のいい人は、ここまで書いてわかってくれたかもしれませんね。
そう。目標による管理というのは「ゴールが与えられている場合にのみ通用する仕組み」なんです。
与えられている、ということは、人にゴールを強制されている場合において、通用するということです。
ゴールに至るためのその途中で、目標管理と言うのは機能するんです。
4月ごろのリクルートのCMでまさにそういうテーマでの放送がありました。
「誰だ。人生をマラソンだなんて言ったやつは」
僕はリクルートという会社が苦手だったりもするのですが、この言葉は全くその通りだと思います。
就職活動でも、「正社員」として「終身雇用」で働きたい、と考えていると、そうできなかった場合に挫折してしまいます。
現在ではそもそも、新卒の若者たちに十分な「正社員」で「終身雇用」のポストが用意されていません。だから、必ず一定割合の人たちが挫折することになります。
企業側を責めても仕方がない。
だって企業側にすれば、「育てれば伸びそう」だったり「即戦力」だったりする若者だけが必要なんです。それは企業間の競争が激化しているから、10年育てて様子をみる、なんてことができなくなっているから、仕方がないわけです。
周りの人よりもトロかったり、うまく笑えなかったり、どこかで足踏みしていて挫折している人たちに目を向けている余裕はないのです。
そうして選ばれなければ、落伍者になってしまいます。
そもそも、誰が「正社員」で「終身雇用」が素晴らしい、と言ったんでしょう?
そういう状態にならなければ、将来ワーキングプアになるから?
いえいえ。正社員だってリストラされるし、終身雇用なんてどんどんなくなってゆきます。法改正が進んで強制し始めている、ということは、強制しなければどの会社もそうしてくれない、ということです。
そして、法律で強制したことは、だいたいにおいて抜け道を探されてしまって、絵に描いた餅になります。
じゃあせめて「ワーキングプア」にならない、ということを、夢に置き換えましょう。
夢として語るのであれば、否定語はよくない。
だからたとえば「結婚して子供を育てられるくらいの収入を確保できて、家族との時間も持てて、やりがいも実感できるようなそんな仕事をしながら暮らしたい」というようにするほうがいい。
それはありきたりな夢かもしれません。それでも、目標として持つよりは、夢として持つ方がいい。
夢として理解していれば、優良企業で正社員で終身雇用で、となるのは一つの選択肢にすぎないことがわかります。
それ以外になにかないか?と考えれば、挫折から学ぶこともできます。
でも「こんな暮らしをしたい」という夢じゃなくて、「正社員になる」という目標にとらわれていると、ブラック企業でもいいから正社員になろう、という方向に進んでしまったりするわけです。
でも、目標じゃなくて、「バカバカしい夢」を持っているのなら、落伍することはありません。
僕自身、バカバカしい夢を持っていました。
最初の夢は「高層ホテルで深夜まで仕事をして、メールを送り終えた後、バスローブを羽織ったまま地上をみおろし、ワインを飲むような生活がしてみたい」というものでした。
その頃の僕は、冷蔵庫すらない蒸し暑い部屋で、ゆでたパスタにのりたまふりかけをかけて食べていました。冷蔵庫がないから卵すら買えませんでした。もちろんクーラーもない。昼ごはんのお金を節約するため、スティックパンを買っておいて、何本かずつわけて食べるようなこともありました。
それから5年が過ぎて、僕は高層ホテルの一室で必死に資料を作成して深夜にメールで送信する状態になっていました。ワイン飲む余裕なんかなかったけれど、とりあえず買っておいたワインをあけて、一口飲んでベッドに倒れたりしました。
他にもいろいろな夢を持ちましたが、それらに共通するのは「どんな仕事をしていても」「お金をかせぐことができなくても/かせげていても」、その夢の実現にはあまり関係ないものばかりでした。
自分でつくりあげたバカバカしい夢がある限り、人は気づかないうちに、その夢に向かって行動します。
でも、目標があると、目の前のことに必死になってしまいます。
本当は、目の前のことを頑張らずに逃げた方がいい場合でも、頑張ってしまったりします。
数字を追いかけるためなら、目標は有効です。
短期的には、とても有効にはたらくことがあります。
でも、長くて(過ぎてみれば)短い人生においては、目標よりも、ばかげた夢を持つ方がいい。
大金持ちになる、とか、多くの人に尊敬されたい、とか、そんな夢でもいい。
そのための方法は、一流大学を卒業して一流企業に就職する、というものだけではなかったりするからです。
必死になることはとても大事だし、目の前のことに集中することもとても大事です。
でも、逃げてもいい。
別の道を選んでもいい。
夢を目標と履き違えなければ、道は違っても、いつかたどり着くことができるからです。
与えられたゴールを目指さない限り。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)