人は不合理だからこそ魅力的だ
僕は人事コンサルタントなので、人の行動について考えることが多い。
その本質は一言で言えば「不合理さ」だ。
たとえば、絶対今勉強しておいた方が良い、というときに、友人たちから遊びの誘いがあったとしよう。頭では勉強すべきだ、とわかっていても、ついつい遊びの誘いに乗ってしまう人は決して少なくはないだろう。
それはまったく不合理だ。
でも、そんな人の不合理さを考えるときに、人工知能が普及したらどうなるだろうか、と思うようになった。
たとえば、自動車の自動運転システムの様に、人の判断を人工知能が支えることができるようになったらどうなるだろうか、ということだ。
経営などの判断において用いられるような意思決定支援システムが、個人レベルで手に入るようになればどうなるのだろう。一定の財務情報やプロセス情報に限定されている経営判断指標に比べ、個人の生活における行動選択において、関連する指標は果てしなく多い。けれども重要度付けをきっちり行って、生体データすらタイムリーに定量化できるとすれば、人工知能による個人行動についての意思決定支援システムが生まれる可能性もあるだろう。
それは例えばこういうことだろうか。
この文章の最初の例のように、勉強か遊びか、という選択肢が与えられたときにどちらを選べばどんな結果になるのか、という予測ができるようになる。
勉強を選択:
・翌日のテストの点数予測 95点
・交友関係に対する影響 次の飲み会に誘われなくなる確率33%
・今月中の新たな出会いの確率 42%⇒40%に低下
遊びを選択:
・翌日のテストの点数予測 68点
・交友関係に対する影響 友人A、B、Cとの関係性向上
・今月中の新たな出会いの確立 42%⇒46%に上昇
このように定量的かつ具体的に影響がわかれば、人は判断をしやすくなるだろう。
新しい出会いを求めている人なら勉強よりも遊びを優先すればよいし、明日のテストが何よりも重要だと思うのなら勉強すればいい。
けれども、人はもっともっと不合理だ。
おそらく、そういう意思決定支援システムがあってなお、一定割合の人は遊びにも行かず、勉強もしない。
実は、僕が感じている人の不合理さの最たるものは、何もしない、という選択だ。
ゆでガエルとか、立ちすくむネコのように、危機に直面してもなお「何もしない」。
そうしてカエルはゆであがってしまうし、ネコは道路の真ん中に横たわることになる。
人事コンサルタントとしての僕は、そんな不合理さを前提として、人事の仕組みを設計する。
それは研修の場でも同じだ。
研修に来る人たちが皆やる気にあふれているのであれば、そもそも研修はいらないだろう。だから研修に参加する人たちが、まったくやる気がないものとして、やる気を高められるように工夫をした講義をする。
そうすれば、もともとやる気のある人たちはもっと身になるだろうし、たまたまやる気がない人がいればその人も学びになるだろうから。
人は不合理だからこそ、魅力的だ。
どの物語をとってみても、喜劇でも悲劇でもミステリーでもラブロマンスでも、あらゆる登場人物たちは不合理だ。不合理だからこそ、観客は彼らの行動に惹きつけられる。それは自分もまた不合理な人だからだろうか。
そう思うからこそ、僕は人が「不合理」なままで活躍できる仕組みにいつも思いを巡らせている。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)
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